【月刊・白鵬】横綱が語る、
稀勢の里の横綱昇進と時天空との別れ (5ページ目)
モンゴル国立農大から東京農大相撲部に進み、国際大会などでも活躍してきた時天空関は、2002年名古屋場所(7月場所)で初土俵を踏みました。そこから22連勝を飾るなどして、一気に幕内まで駆け上がっていった勢いには目を見張るものがありました。私はその前年、15歳で入門して2001年春場所(3月場所)で初土俵を踏んでいるのですが、当時、その姿に圧倒されたものです。
柔道経験者だったこともあり、けたぐりなどの足技のキレは抜群でした。関取衆の誰もが警戒していましたね。
時天空関と私が初めて対戦したのは、ともに十両力士だった2004年春場所のこと。私は十両2場所目で、時天空関は新十両の場所でした。お互いに「負けられない!」という気持ちで戦ったことは、昨日のことのように覚えています。
病が発覚した2015年九州場所から休場していたときには、モンゴル人力士の代表としてお見舞いに行かせていただきました。そして、昨年秋場所(9月場所)前に引退を発表。その秋場所では15日間、館内警備の仕事をなされていたのですが......。本当に残念でなりません。
いろいろな思いを残して亡くなられた時天空関、どうか、私たちのこれからの姿を見守っていてください。
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