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【月刊・白鵬】横綱の相撲界への道を拓いた、知られざる「恩人」 (3ページ目)

  • 武田葉月●構成 text&photo by Takeda Hazuki

 結局、体重60kgとやせっぽちだった私は、どの部屋からも声がかかることなく、モンゴルへ帰国することが決まったのですが、帰国前日、宮城野部屋から入門の機会を与えてもらいました。一転、力士になることを決意した私は、帰国することを取りやめました。すると、浅野会長が尋ねました。

「これから(相撲界で)やっていけるか?」

 それに対して、私は「ハイ」と答えました。胸がいっぱいになりながら、そう返事したことは今でも鮮明に覚えています。

 運命が動いた瞬間でした。このとき、モンゴルに帰国していたら、今の「横綱・白鵬」は存在しませんからね。

 それからしばらくして、私の入門に際して、浅野会長がいろいろと動いてくださったことを聞きました。それだけに、毎年春場所のために大阪入りすると、まずは浅野会長の顔を見に行っていました。私だけでなく、浅野会長はモンゴルからやってきた力士たち全員の父親のような存在でしたね。

 その会長がここ数カ月、体調を崩されていたのでとても心配していましたが、ついに帰らぬ人となってしまいました。私にとって、『摂津倉庫』相撲部の土俵はまさに相撲の“原点”でもありますし、そこでお世話になった会長が亡くなられたことは、本当に残念でなりません。

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