【月刊・白鵬】横綱の相撲界への道を拓いた、知られざる「恩人」 (2ページ目)
取り急ぎ、先日の力士会では、力士全員で熊本の方たちに義援金をお送りすることを決めました。また、4月29日に行なわれた横綱審議委員会による稽古総見では、一年に一度の一般公開日だったこともあって、三役以上の関取衆、熊本出身の力士たちで募金活動をさせていただきました。少しでも熊本のみなさんのお役に立てればと思っています。
その最中、今度は私の恩人とも言える方の訃報が飛び込んできました。私が相撲界に入るきっかけとなった場所、大阪『摂津倉庫』の浅野毅会長です。
そもそも、私は「力士になりたい」という野望を持っていたわけではありません。15歳で初めて日本にやって来たときもそうでした。
実は当時、相撲界ではモンゴル人力士の一期生である、旭天鵬関(大島親方)や旭鷲山関が大いに活躍していました。私は、おふたりの姿をテレビ観戦で見て、憧れていたのです。私に限らず、おそらくその頃のモンゴルの少年たちは、みんなそういう感覚を抱いていたと思います。
それで単に、私は「一度は日本に行ってみたいな」と願っていて、そのチャンスが巡ってきたのが、15歳のときでした。2000年の秋、モンゴルの力士志望の仲間たちと来日し、そのときに相撲の基礎を教わったりしながら、寮での生活までお世話になったのが、摂津倉庫でした。
そしてその間、何かにつけて私に声をかけてくれたのが、浅野会長でした。一緒に来日した仲間たちが次々に相撲部屋の親方たちにスカウトされていく中、当初力士志望ではなかった私もさすがに落ち込み、「自分には才能がないのかぁ......」と悲しい思いをしているときでも、常に気にかけてくれました。
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