【フェンシング】金メダリスト・太田雄貴に残された「最後の務め」 (2ページ目)
太田はその後、2014年1月のパリ国際大会から復帰。しかし、その道は容易なものではなかった。1シーズン丸ごと休んだため、世界ランキングはない状態。よって大会では、ベスト16位までの選手が免除される予選から出場した。成績も、スペイン大会やキューバ大会での3位や2位があれば、パリ大会でのベスト64敗退やドイツ大会でのベスト128敗退などもあり、なかなか安定しなかった。
それでも太田は世界ランキングを13位まで戻すと、今年5月にはドイツ・ボン大会で2位になるなど次第に安定感を増し、6月のアジア選手権では初優勝。太田にとって、2010年の高円杯以来となる個人戦の勝利だった。
そして自信を持って臨んだ、今年7月の世界選手権――。「これが人生最後の世界選手権になるかもしれない」と思って挑んだ太田は、運にも恵まれた。大会直前の世界ランキングは8位だったが、決勝トーナメントに入るとランキング上位の選手が次々と姿を消す波乱の展開に......。さらに世界1位のレース・イムボーデン(アメリカ)がベスト16で雷声(中国)に完敗するなど、準々決勝に残った予選免除のシード選手は太田を含め、6位のアレクサンダー・マシアラス(アメリカ)と13位のゲレク・マインハート(アメリカ)の3人だけとなった。
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