【世界フィギュア女子】坂本花織「うれしくて泣いて、悔しくて泣いて」 4連覇逃すも五輪へ「身が軽くなった」
世界フィギュア2025・女子シングル レビュー
【リンクサイドで泣き続けた坂本花織】
アメリカ・ボストンで開催されたフィギュアスケートの世界選手権。3月28日(現地時間、以下同)の女子フリーを終え、大会4連覇を逃した坂本花織(シスメックス)は自身の演技終了後、泣き続けた。
「今日の演技は、自分のできることをやりきれたので満足しています」と話す坂本は、演技後にしばらく氷上で喜びをアピールし、力強いガッツポーズも見せた。ショートプログラム(SP)とフリーの合計得点は217.98点。他の選手の実績を見れば、表彰台は確実で、優勝してもおかしくない得点だった。
世界選手権で2位になった坂本花織 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る
だが、坂本のあとに4人の演技者。その演技を、暫定1位の選手が座るリンクサイドで見ていた。
「今日は会場入りする前からとてつもなく緊張していて、その緊張感のなかでなんとか自分の演技をやり終えて満足していました。残りの4人の演技に感動して泣いて、最後のアリサ(・リュウ/アメリカ)が優勝を決めて、すごくうれしくて泣いて。同時に悔しくて泣いて。いろんな感情がこみ上げていました」
女子史上5人目、66年ぶりの世界選手権4連覇。その偉業を坂本は、2月の冬季アジア大会の敗戦から強く意識した。だが、緊張していたのは坂本だけではなかった。彼女とともに表彰台争いをすると目されていたキム・チェヨン(韓国)やアンバー・グレン(アメリカ)も同じだった。
坂本は3連覇中の女王で、ふつうに考えれば、キムとグレンのふたりは挑戦者としてリラックスした気持ちで挑めるはずだった。しかしグレンはGPファイナルで坂本に勝利し、キムは冬季アジア大会で坂本を下していた。相手が絶対王者ではないと肌で感じたからこそ、世界選手権の初優勝を強く意識するようになっていたのだろう。
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。