羽生結弦が平昌五輪で見せた「奇跡の舞」。そして朗らかに語った4回転アクセル挑戦の理由 (3ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

「ソチ五輪と比べれば、4年間で積んだものはあるかなと思いますね。あの時はガムシャラだったが、今回は本当に(金メダルを)獲らなきゃいけないというような使命感があったし、『これを逃したら......』という気持ちも少なからずあった。19歳の頃はもっと時間があると思っていたけれど、今回の五輪は、もう時間がない、もうあと何回試合があるかわからないという緊張感があった。それで、ある意味、五輪というものを感じられたのかなと思います」

 だからこそ、勝たなければいけなかった。重大なケガを負っていても出場する・しないではなく、勝てる・勝てないというものでもなかった。

「ジャンプ構成は、ループを跳びたいとか跳びたくないという前に勝たなければ意味がないというのが自分のなかにはあった。この試合は特に他の何よりもこれからの人生でずっとつきまとっていくものになる。だから、大事に大事に結果を取りにいきました。ショートで、世界最高得点には届かなくてもあれだけの評価をしてもらえたことで自分のスケートに自信が持てた。それでフリーも4回転はサルコウとトーループだけでいくという決断に至ったのだと思います」

 羽生のフリー得点は206.17点。SP17位の出遅れから意地の滑りを見せたネイサン・チェン(アメリカ)には8.91点及ばなかったが、合計得点では追い上げを許さなかった。

【プライドをかけた挑戦】

 ソチ五輪の優勝以来、羽生はいろいろなものを背負ってきた。自らが背負い込んだものも、周囲や世間から背負わされたものもある。だが、彼はアクシデントや病気、ケガなどとともに、それらを自らの集中力を高める材料にし、モチベーションにして戦い続けてきた。そうした背負ってきたものもこの優勝で、すべて下ろすことができた。

 だからこそ、朗らかな顔で4回転アクセルへの挑戦を口にできたのだろう。

「子供の頃の僕だったら前人未到の技だからと言うだろうけれど、最後の最後まで自分を支えてくれたのはアクセルだったし、アクセルジャンプはかけてきた時間も練習量も質もどのジャンプより多い。それに僕の恩師でもある都築章一郎先生がアクセルは『王様のジャンプ』だと話してくれた。そのアクセルが大好きで、得意にしていることに感謝しながら、4回転アクセルを目指したいなと思っています」

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る