「悔しいです」浅田真央がバンクーバー五輪で流した涙。それでもキム・ヨナとの戦いは見る者を虜にした
<冬季五輪名シーン>第5回
2010年バンクーバー五輪 フィギュアスケート・浅田真央
連載記事一覧はこちら>>
いよいよ2月4日からスタートする北京五輪。開幕を前に、過去の冬季五輪で躍動した日本代表の姿を振り返ろう。あの名シーンをもう一度、プレイバック!
◆ ◆ ◆
2010年バンクーバー五輪フリー演技の浅田真央この記事に関連する写真を見る
【課題のジャンプ成功に歓声が爆発】
2005年グランプリ(GP)ファイナルを初出場で優勝しながらも、国際スケート連盟(ISU)の年齢規定で翌年のトリノ五輪に出場できなかった浅田真央。2010年バンクーバー五輪は彼女にとって、ひとつの着地点だった。そして、ジュニア時代からのライバルであり、同じ年齢制限に泣いた同い年のキム・ヨナ(韓国)と戦う大舞台でもあった。
だが、初めての五輪へ向かう道は厳しかった。2008年世界選手権は制したが、そのシーズンから回転不足やジャンプのエッジエラーの判定が厳格になり影響が出た。2008年GPファイナルでは、フリーで女子史上初のトリプルアクセル2本を決めて優勝したものの、翌2009年の世界選手権はショートプログラム(SP)では苦手の3回転ルッツでミスし、フリーも2本目のトリプルアクセルなどで回転不足と判定されて4位。五輪シーズンもGPシリーズは2位(フランス杯)と5位(ロシア杯)で、4年連続で出場していたファイナル進出を逃していた。
その不調の要因のひとつに、SP冒頭にトリプルアクセル+2回転トーループを入れる構成を続けたことがあった。前シーズン最後の世界国別対抗戦で成功させてSP自己最高の75.84点を出したが、五輪前の4試合はそのジャンプでミスが続いて出遅れていた。
しかし、浅田は苦戦していたジャンプを五輪本番で成功させた。
2010年2月23日、バンクーバーのパシフィック・コロシアムで行なわれたSP。緊張感に包まれたなか滑り始めた浅田を、会場の誰もが無言で見守った。きれいな弧を描いた滑りで、最初のジャンプポイントへ静かに進む。踏み出した右足に体重を乗せて両手を後ろに引き、少し膝を曲げた構えから空中へ跳び上がった。3回転半し、そのまま2回転トーループを続けた。その瞬間、観客は歓声を爆発させた。誰もが彼女のトリプルアクセルを待っていたのだ。
1 / 4