羽生結弦はソチで「五輪の怖さを知った」。魔物に立ち向かった底力 (4ページ目)
羽生は「後半になるに従って脚が動かなくなり、体力もなくなってマイナスな気持ちが出てきてしまいました。そういった中で演技をするのが大変でした」と振り返る。
フリーの得点は178.64点で合計は280.09点。優勝の2文字は、彼の手のひらからスルリとこぼれ落ちていったように思えた。
しかし、世界選手権3連覇中のチャンにもまた、魔物が襲い掛かった。金メダル獲得の絶好のチャンスが転がり込んできたことで、プレッシャーがかかったのかミスを連発。最初の4回転+3回転を決めたものの、単発の4回転トーループと、トリプルアクセルでは手を突いてしまう。さらに終盤のダブルアクセルでもミスをして、結局、178.10点で羽生を上回ることができなかった。
負けたとばかり思っていた勝負に勝利した羽生は、「びっくりしているとしか言いようがありません」と述べ、同時に「五輪の本当の怖さを知った」と神妙な面持ちで語った。
五輪の大舞台で、完璧な演技をするのは至難の業。優勝を決定づけるのは、選手のもっている底力の証明とも言えるだろう。その意味では、羽生がこのシーズンをケガなく過ごしたこと、グランプリシリーズ3試合でのチャンと直接対決で着々と力を蓄えていったことが、勝因になったのかもしれない。
(つづく)
*2014年2月発行『Sportivaソチ五輪・速報&総集編』掲載「羽生結弦 19歳の飛翔」に一部加筆
【profile】
羽生結弦 はにゅう・ゆづる
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。
折山淑美 おりやま・としみ
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追い続けている。
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