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小塚崇彦が語るフィギュア界の登竜門。「遊びすぎてへばる合宿でした」 (2ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha 能登直●撮影 photo by Noto Sunao

――野辺山合宿は小塚選手にとってどんな合宿でしたか?

「まずノービスの頃は全国の試合は全日本ノービス選手権しかなかったので、数少ない全国の選手と会って一緒に練習する機会でした。幼いながらも張り合いのあるメリハリのある練習ができていたんじゃないかなと思います。僕の一つ下に森永(浩介)選手がいて、彼が毎年毎年、新しいジャンプを跳んでくるんですよ。それを僕が追いかけるほうでした。その子が何か新しいジャンプを跳んでいるということを確認する場でもあったかな」

――いつから野辺山合宿に参加しましたか?

「僕はノービスB(9~11歳)の2年目から参加したので小学5年生ですね。小学6年は受験で合宿には行けなくて、あとは中学1年生のとき。野辺山合宿には2度、参加しています。それ以降はジュニア合宿に参加して、ノービスの頃もジュニアに推薦してもらっていました」

――野辺山合宿に参加するきっかけは?

「当時はまだ自分で申し込みをして参加しましたので、みんなが行ける合宿でした。いまは野辺山合宿に参加するための選抜があるようですが」

――当時は何人くらい、野辺山合宿に参加していましたか?

「全体では70、80人くらいで、そのうち男子は10人くらいでした」

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