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【女子プロレス】上福ゆきが振り返る壮絶なアメリカ生活と、"巣鴨のレディー・ガガ"から東京女子のリングに上がるまで (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Satoshi Dairaku

【帰国後、"巣鴨のレディー・ガガ"に】

――帰国したのは、高校3年生の途中ですね。

上福 「どうしても日本の高校生を経験してみたい」と父親に無理を言って、少し早めに帰国しました。数カ月間だけでも日本の高校生活を味わってみたくて。ただ、いざ編入したのが進学校で、周りは勉強を頑張る真面目な子ばかり。私のようなタイプはひとりもいなくて、「あ、選択をトチったな」と(笑)。

――その後、東洋大学に進学します。

上福 大学時代はすごく地味で、友達はふたりだけ。サークルにも入りませんでした。新入生勧誘の時、先輩たちを「親の仕送りで生きているのに、人生を悟ったような顔をしている」と冷めた目で見てしまい、つまらなくなっちゃったんです。

――アメリカでの経験を経て、物事を俯瞰で見る視点が養われていたのでしょうか。

上福 アメリカには、本当にいろんな人がいましたから。大豪邸に住む女の子がいる一方で、その家の駐車場にテントを張って暮らしている同級生もいた。日本では見たこともない境遇で生活する人、障害を持つ人が身近にたくさんいました。

右腕がない先生が普通にパソコンを教えていたり、当時の日本で"イレギュラー"に見られていたことが、向こうでは"当たり前"だったんです。もちろん差別もありましたけど、多様で複雑な環境を生きてきたから、ちょっとやそっとの日常の出来事では動じない、引かないという感覚は身につきましたね。

――大学時代は、巣鴨に住んでいたそうですね。

上福 大学が近かったので。当時は、暇さえあればパチスロをしてました(笑)。ある日、目押しができず困っていたお婆ちゃんを助けたのを機に、巣鴨の商店街で有名人になったんです。世間ではレディー・ガガが流行っていて、私も高いヒールを履いていたので、「レディー・ガガみたいだね」って言われていました(笑)。

 大学のミスコンに出場する時、商店街のおじいちゃんやおばあちゃんたちが会場まで応援に駆けつけてくれたんです。その組織票のおかげで、準ミスに選ばれました。

――その受賞が未来を開くきっかけに?

上福 芸能事務所への所属が転機になって、東京女子プロレスに出会いました。

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