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【プロレス】「藤原組がSWSに入ると印象が悪くなる」 藤原喜明が振り返る、新団体設立と不穏な船出 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【船木を団体のエースに旗揚げも......】

 こうして迎えた旗揚げ戦は、全4試合がラインナップされた。藤原は第2試合でジョニー・バレットと対戦し、アキレス腱固めで勝利した。メインイベントは船木が務め、UWFの常連外国人選手だった米国人のバート・ベイルをフェイスロックで破った。その試合順からもわかるように、藤原は一歩引いて、船木を団体のエースに据える方針を取った。

「あの頃、船木が少し人気があったからだよ。ただ、俺は冷静に見て『まだそんな器じゃない』と思ってたけどな」

 田中が事実上のオーナーを務めた藤原組だったが、格闘技スタイルを追求する試合内容は変わらなかった。ただ、団体の方向性でUWF時代と違ったのは、SWSへの参戦だった。

 第一弾は、SWSとして初のドーム興行、3月30日に行なわれた東京ドーム大会。そこに船木が参戦し、新日本時代の先輩である佐野直喜(現・巧真)に勝利した。続く4月1日の神戸ワールド記念ホール大会には、船木、鈴木、藤原も参戦した。「SWSと藤原組による対抗戦」と銘打たれ、船木はまたも佐野に勝利し、藤原は新日本時代の後輩である新倉史祐に快勝した。

 しかし、アポロ菅原と対戦した鈴木は、まったく試合がかみ合わず、菅原が試合を放棄する不穏試合となり、禍根を残した。この試合を藤原はどう見たのかを聞くと、「そんなもん知らん。鈴木に聞いてくれ」と沈黙した。ちなみにこの神戸大会は、WWF(現WWE)のジョン・テンタと対戦した北尾光司が、試合後にマイクを持って「この八百長野郎!」と罵倒し、大騒動が起きた"いわくつき"の大会だった。

 SWSへの参戦は、藤原にとって田中への恩義を含めて当然の方針だった。だが、UWFから続く、従来のプロレスとは一線を画す格闘技プロレスを追求したかったほかの選手たちは、旧プロレスへ後戻りするような展開に違和感を覚えていた。そして次第に、藤原との間に溝が生まれていくことになる。

(敬称略。つづく)

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