検索

【プロレス】藤波辰爾が明かす、棚橋弘至の引退セレモニー裏話 すべてを出しきった「社長」にエールを送った (3ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

【社長に専念する棚橋へのエール】

 当初は戸惑ったという、自身との「表現」の違いについても語った。

「表現の方法が、我々と棚橋は違ったね。僕らは猪木さんの影を追ってきたから、試合以外でお客さんにアピールすることはやらなかった。だから、棚橋がマイクを持ってお客さんに『愛してま~す!』って言った時は、最初は『何を言ってんだ』と思ったし、正直、意味がわからなかった。

 でも、彼がそれを続けたことで、『愛してま~す!』が今の時代のファンとマッチした。彼が心底、プロレスが好きで、ファンを愛していることも理解できましたね」

 棚橋は引退試合のなかで、かつてのライバルだった柴田のフィニッシャーであるPK、さらに中邑真輔のボマイェを繰り出した。

「『自分が闘ってきた歴史を表現したかったんだろうな』と思いましたね。すべてを出し尽くした、すばらしい試合でした」

 そんなエースを"介錯"したオカダの成長も目を見張ったという。

「オカダは、アメリカに行ってひと皮むけた印象がありましたね。技が洗練されていてシャープだったし、オーラがあった。棚橋の引退試合が決まった時、僕は『対戦相手はオカダになればいいな』と思っていたんです。彼には、棚橋と闘ってきた歴史があるから。

 中邑も適任と思ったけど、彼はWWEに所属しているから、なかなか難しいと思っていました。だから、オカダしかいないと思ったし、実際にそうなってよかった。オカダには、アメリカでもっと成功してほしいですね。そのためには、体をもうひと回り、ふた回り大きくしてほしい。そうなれば"鬼に金棒"になると思います」

 棚橋は今後、新日本プロレスの社長に専念し、団体、さらにはプロレス界全体を牽引する。藤波は最後にエールを送った。

「現役時代と同じ熱さで新日本を引っ張ってほしい。社長だから経営面はもちろん重要。だけど、机に座って帳簿の数字だけを見るんじゃなくて、マッチメイクも率先してやってほしい。プロレスラーとしての熱い魂を失わずに選手を引っ張ってほしいですね」

●藤波辰爾の書籍が1月26日に発売!

『マッチョ・ドラゴン式トレーニング 古希でも闘える体づくり』(ホーム社)

なぜ70歳を超えても現役でいられるのか? いまだ黒タイツ一枚とシューズだけでリングに上がれる奇跡のプロレスラー、“マッチョ・ドラゴン”藤波辰爾の秘密が丸裸に――。

詳細はこちら>>

【プロフィール】

藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)

1953年12月28日生まれ。大分県出身。70年6月、16歳で日本プロレスに入門し、翌71年5月9日デビュー。72年3月、新日本プロレス旗揚げ戦の第1試合に出場。同年12月に開催された第1回カール・ゴッチ杯で優勝し、75年6月に海外遠征へ出発。カール・ゴッチのもとで修行を積み、 78年1月にWWWFジュニアヘビー級王座を獲得した。81年末にヘビー級転向を宣言。長州力との戦いは「名勝負数え唄」と呼ばれファンを魅了。99年6月からは5年間に渡り新日本プロレスの代表取締役社長を務めた。06年6月に新日本を退団し、同年8月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げ。 08年より団体名を『ドラディション』へと変更した。

【写真】ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

3 / 3

キーワード

このページのトップに戻る