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【プロレス】藤原喜明が振り返る半生 新日本プロレス、UWF、藤原組と渡り歩いた「関節技の鬼」の原点 (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【人から「やれ」と言われると嫌になる】

 中学時代には両親がテレビを買ったが、電波の状態が悪くて映らない時があった。

「だから俺は、竹と銅線で自分でアンテナを作ったんだよ。おじさんが大工だったから、家の中に大工小屋があってな。のこぎり、鉈、金づち......大工道具がズラ~ッとそろってたから、作れたんだ。自分で作ったアンテナのおかげで、岩手では見られない仙台放送が映ったんだよ。

 ほかにも、木を削って彫刻を作ったり、丸太に人の顔を彫ったりしていたんだ。絵を描くのも好きだったな。俺は人から『やれ』と言われると嫌になるタイプだけど、自由に気の向くままにやると没頭する性格なんだ。小学5年ぐらいからは、彫刻を作ったり、絵を描いたりすることが俺にとっての遊びだったな」

 相撲が強く、手先が器用だった少年は中学を卒業後、北上市内の県立黒沢尻工業へ進学した。

「家が貧乏だから、本当は高校には行かずに働くって決めてたんだ。だけど、先生や親から『今の時代は高校ぐらい行かなきゃダメだ』と説得されてな。当時は、国民所得倍増計画の時代だったから、工業高校の機械科は倍率7倍。競争率が激しかったよ」

 高校でも剣道を続け、応援団のリーダーも務めた。卒業後は上京し、就職すると決めていた。

「とにかく働かないといけねぇなって思っていた。普通なら、俺が家の農家を継がなきゃいけねぇんだけど、俺は嫌だった。朝から晩まで働いて、苦労しても貧乏なのを目の当たりにしてたからな。親父からは『農家を継げ』って言われたよ。だけど、さっきも言ったけど、俺は人から『やれ』って言われると嫌になっちまう。昔からへそ曲がりだったんだよ」

 農家を継がず、岩手を離れた。その18歳の春の決断が、藤原とプロレスを近づけることになる。

(つづく)

【プロフィール】

藤原喜明(ふじわら・よしあき)

1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。

【写真】 ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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