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【プロレス】藤原喜明が振り返る半生 新日本プロレス、UWF、藤原組と渡り歩いた「関節技の鬼」の原点 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

 帰りたくない藤原少年は、学校から家までの約2キロの道のりで、りんご、桑の実などを食べてみちくさをしていた。

 そんな、多感な小学生時代に、藤原は初めてプロレスを見た。

「6年生くらいだったと思うけど、学校の講堂で映画観賞会があったんだよ。昔の映写機だからフィルム交換があって、その間にニュースが流れるだ。その時に、力道山先生の試合が出てきたんだよ。

 家にはテレビもなかったし、プロレスも知らなかったから、『なんなんだ、これは!』とショックを受けたんだ。それがプロレスとの出会い、始まりだった。だけど、その時は『プロレスラーになろう』とまでは考えてなかったよ」

 時は1961年。力道山の全盛期だった。黒いロングタイツ姿で、空手チョップで外国人をなぎ倒す雄姿が、藤原少年の心を掴んだ。江釣子中学に進む頃には、身長が170cmを超えるなど、身体が大きくなっていった。

「中学では剣道部に入ったけど、練習はあまり行かなかったな。家の仕事が忙しかったし、スポーツをやる暇もカネもなかったから。だけど、3年生の時に大会に出て負けたら悔しくて、そこから半年ぐらいは一生懸命やったよ」

 剣道部以外では、相撲でも勝ち負けにこだわった。

「体育館のバスケットボールコートの円を土俵に見立てることもあったし、冬は田んぼの真ん中に雪を固めて土俵を作ったよ。俺は上級生と勝負しても負けなかったけど、たまに負けると、『あの相撲で負けたのは、どうしてなんだろう? どうすれば勝てるんだろう』ってずっと考え込んでたな。

 勝つも負けるも理由があるんだよ。俺は、そうやって考えるのが好きだったし、理由がわかって次の勝負で実践すると、一度負けた相手にも勝てるんだよ。それが面白かったな」

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