【証言・棚橋弘至】中邑真輔が感じた決定的な違和感「あぁ、そうか。この人の考え方とは違うな」 (3ページ目)
── デビュー戦から自己プロデュースが問われると。
中邑 それでデビュー戦で使うコスチュームを2つつくったんですよ。ひとつは総合(格闘技)で穿きそうなショートタイツで、ベースは黒にはしていますけど素材もカッコいいやつ。もうひとつは、通常の黒のストロングスタイルのやつ。どっちでいくのがいいのかなと思ったんだけど、誰にも相談できなくて、最終的に棚橋さんに相談したんですよ。それで「いや、そこはヤングライオンなんだから、ふつうに黒のタイツとブーツだろうね」と言われた瞬間に、「あぁ、そうか。この人の考え方とは違うな」と思いましたね。アッハッハッハッハ!
【最初に感じた決定的なズレ】
── ちょっと禅問答みたいな。自分から相談しておいて(笑)。
中邑 相談しておきながら、「ここはちゃんと低空飛行で行け」というふうに言われたと受け取ったんですよ。
── まず相談相手が棚橋さんというところで、本当は背中を押してほしかったわけですよね。でも期待していた答えが返ってこなかった、と。
中邑 そうそうそう。「イケイケでやっちゃったほうがいいよ」と言ってくれるのかなと思っていたら、「ここは正装で」と。「ああ、棚橋さんってこういう人なんだな」と思った最初の印象ですね。とにかく僕にとっては一世一代の晴れ舞台だったわけですから。
── 大きく言えば、そこで袂を分かったわけですね(笑)。
中邑 いま思えば、なんて(笑)。
── そもそも中邑さんが破格の扱いを受けたのは、新日本プロレスのイメージを体現できる、いわばストロングスタイルを背負える新人だと見なされていたからですよね
中邑 どうでしょうかね。はっきりと「こういうふうにやれ」と言われたことはなかったですし、僕も探り探りだったんですけども。
── 当時の新日本プロレスは、時代の流れのなかでプロレスと格闘技をクロスオーバーさせざるを得ませんでした。そこで「プロレスをやりたくて入ったのに......」という葛藤はなかったですか。
中邑 ただ、僕は何も持っていなかったわけですから、「やれることは全部やります」というスタンスでした。失うものもなかったですし、体力的に抜きん出ているわけでもない。レスリングの実力にしても、名だたる先輩方がいました。永田さん、矢野さん、中西(学)さんと、全日本チャンピオンクラスの選手が揃っていたわけですからね。だからこそ、自分の実力不足は重々承知したうえで、「できます。やらせてください」という姿勢で臨んでいました。
中邑真輔(なかむら・しんすけ)/1980年2月24日生まれ。京都府出身。2002年、新日本プロレスに入門し、同年デビュー。03年、IWGPヘビー級王座を戴冠。09年、矢野通らとユニット「CHAOS」を立ち上げる。11年、G1クライマックス初優勝。12年、インターコンチネンタル王者となる。16年、新日本プロレスを退団し、WWEと契約。23年、プロレスリングノアに参戦。グレート・ムタと対戦し、この試合がプロレス大賞ベストバウトを受賞した
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