【プロレス】「最初はぶっちぎっていると思っていたのに...」 中邑真輔が明かす棚橋弘至への嫉妬心
証言・棚橋弘至〜中邑真輔インタビュー(後編)
棚橋弘至と中邑真輔──ふたりが、腹を割って話した記憶はほとんどないという。近くにいたはずなのに、どこか距離を保ち続けていた。同じ時代を生き、同じリングに立ちながら、決して交わりきらなかった関係性。その理由を、中邑が語った。
かつては「新闘魂三銃士」のひとりとして、棚橋弘至としのぎを削った中邑真輔 撮影/タイコウクニヨシこの記事に関連する写真を見る
【次代のエースをめぐる見えない闘争】
── のちに格闘技から生還してきて、プロレスに専念できるようになった時、棚橋弘至選手、柴田勝頼選手と「新闘魂三銃士」と呼ばれるようになりました。
中邑 僕としてはすでにIWGPのベルトを獲っていたので、「一歩階段を降りなきゃいけないのか」と思いましたね、生意気にも。ぶっちぎって先頭を走ろうとしているのに、ちょっとペースを落とさなきゃいけないのか、っていうひねくれた考え方をしていました。柴田さんは柴田さんで、ひと括りにされることを嫌がっているのが肌感でわかったので、「やれやれだぜ」みたいに思っていたし、僕もそうした態度をあからさまに出していた。そこで棚橋さんは間に入ってなんとかバランスを取るというか、大人の対応をしていた感じですね。
── 自分の思いよりも、会社の意向、まわりの期待に応えようっていう。その後、柴田選手が新日本を退団しますが、棚橋さんとの間で次代のエースを争うという感覚はあったんですか?
中邑 まあ、それはあったでしょうね。当時の僕は強く自己主張していましたから、あらゆる面で棚橋さんにも反発していましたし。
── いま一度プロレスを盛り上げていこうというなかで、棚橋選手と意思の疎通を図ることはありました?
中邑 ふたりでじっくりと話すということはほとんどなかったです。やっぱり僕はすごく気を張っていたし、ずっと先輩後輩という壁を壊さずに接していましたから。
── 言い方を変えたら、ずっと距離を置いていた?
中邑 ただ、いつだったか忘れましたけど、札幌かどこかの選手がたむろするバーで「棚橋vs中邑は、武藤(敬司)vs三沢(光晴)のように溜めに溜めてからやったほうがいいんじゃないか」みたいなことを、棚橋さんに言ったことがあります。どっちが強いのか、どっちが勝つのかという勝負論を、最高まで高めてからやったほうがいい。そういうものをつくり上げていくべきなんじゃないかと言っていた記憶がありますよね。将来的に外敵に頼らざるを得ない状況を打破するために。
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