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【証言・棚橋弘至】鈴木みのるが語る対極のレスラーの功績「あいつはプロレスを男臭いドロドロしたものから、華やかな舞台に変えた」 (4ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文
  • 市川光治(光スタジオ)●構成

【最後のピースはオカダカズチカ】

── 足りなかったものはなんだったんですか?

鈴木 これまでプロレス界に誕生したヒーローとかスターって、かならず20代から生まれたんだよ。パンクラスも20代だったオレたちが始めた。UWFも四天王プロレスも20代。ジャイアント馬場、アントニオ猪木ももちろん20代だった。藤波辰爾もそう。だけどあの頃、棚橋も中邑もすでに30歳を超えていて、そこにポンと出てきたのがオカダ(・カズチカ)だった。「あっ、これ」と思った。

 オカダが海外から帰ってきていきなり棚橋に勝ってIWGPのチャンピオンになった時、「こんな若造が勝てるわけない」と思っていたお客がシーンとなった光景を見て、オレはハッとした。あの瞬間は控室もざわついて、「なんだ、あの野郎?」みたいな。

── レスラーの間でもざわついていたんですね。

鈴木 みんなピリピリして、まったく祝福じゃなかった。それでオレは「あ、これだ。これ、来るぞ。この団体」って思ったんだよね。足りなかった最後のピースにポコッとオカダがハマった。

── レインメーカー登場によって、新日本は盤石なものになった、と。

鈴木 それは棚橋がいたからこそ、その状況に持っていけたんだけど、みんなに「ああでもない、こうでもない」と言われながらも、新日本の新しいイメージをつくったのはやっぱりあいつだから。

── 新日本だけでなく、日本のプロレス界全体の空気を変えたような気がします。アンチテーゼも含めて、確実に他団体にも影響を与えましたよね。

鈴木 棚橋の功績だなと思う。プロレスを男臭いドロドロしたものから、華やかな舞台に変えたんじゃないかな。あいつはやっぱり時代に選ばれた人だよ。オレとかはまったく時代に選ばれてねぇから(笑)。だけど、どの時代にもずっといるから。

── どの時代にも選ばれているんですよ(笑)。

鈴木 ある時、海外のファンから言われたんだよ。向こうでサイン会をしてる時に「オレは日本のプロレスが好きでいろいろ勉強していて、手に入る映像は全部見てる。どの時代を切ってもおまえはずっといるんだけど、いったいおまえは何歳なんだ?」って(笑)。

── アハハハハ。そう思われても不思議じゃないかもですね(笑)。

鈴木 この間も「ものすごく古い猪木の映像を手に入れたんだけど、横でウェアを受け取ってたの、おまえだよな?」みたいな(笑)。

つづく>>


鈴木みのる/1968年6月17日生まれ。神奈川県出身。88年に新日本プロレスでデビュー。新生UWF、プロフェッショナルレスリング藤原組を経て、93年に船木誠勝らとパンクラスを旗揚げ。95年5月、第2代キング・オブ・パンクラス王座に君臨。プロレス復帰後は"世界一性格の悪い男"をキャッチコピーに、独自のストロングスタイルと観客を巻き込む存在感で国内外のリングを席巻。50代後半になった今も衰えぬ闘志と表現力で、プロレス界の"生ける狂気"として名を刻んでいる

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