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髙田延彦のUWF参戦は「1試合だけ」のはずだった 元東スポ記者が振り返る、新日本プロレスに翻弄された若手時代 (4ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【越中との新・名勝負数え唄"】

――新日本に戻ったあとの髙田さんは、IWGPジュニアヘビー級王座をめぐり、元全日本プロレスの越中詩郎さんと戦いました。

柴田:越中さんは185cmあって、ジュニアとはいえ身体がデカかった。全日本プロレスの選手は身体がみんなデカいんですよ。ジャイアント馬場さんやジャンボ鶴田さんと一緒にいたから、大きく見えなかっただけ。越中さんも、今だったら完全なヘビー級の選手です。

――髙田さんと越中さんの試合は"新・名勝負数え唄"と呼ばれました。

柴田:ふたりの試合は、プロレス大賞のベストバウト候補にも挙がりましたね。当時は、ジュニアの試合がベストバウトにエントリーされることは、あまりないことでした。

――新日本に戻ってからの髙田さんの戦いはいかがでしたか?

柴田:もともと新日本育ちですから、すぐに適応できましたね。一方、全日本プロレス育ちの越中さんは受け身をトコトン仕込まれているから、打たれ強い。真正面から髙田さんのキックを受けるんです。おかげで髙田さんは、 "これがUWFだ" というものも披露しながら、新たなスタイルを築き上げた。髙田さんと越中さんは、うまくスイングしていましたね。

――髙田さんがIWGPジュニア王座を争った相手は、越中さんしか記憶にないくらいです。

柴田:名勝負は少ないかもしれません。誰ともやっても名勝負をたくさん残しているのは、猪木さんだけ。藤波さんは長州さんをはじめいくつかあるけど、馬場さんや鶴田さん、前田さんでも名勝負というとそんなに多くないかと......。例えば「名勝負100選」とかを選ぶ場合、ポンポンと出てくる選手ってそんなにはいないんですよ。その点でも、猪木さんは別格でしたね。

【プロフィール】

柴田惣一(しばた・そういち)

1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として各メディアで記事を掲載。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務める。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。

【写真】ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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