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髙田延彦のUWF参戦は「1試合だけ」のはずだった 元東スポ記者が振り返る、新日本プロレスに翻弄された若手時代 (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【第1次UWFに"限定"参戦のはずが・・・】

――精悍なルックス、スタイルも若手の中で群を抜いていました。

柴田:髙田さんのモテエピソードのひとつとして、平田淳嗣さんのお嬢さんの話があって。当時、まだ小さかったのに「大きくなったら、私ノブちゃんのお嫁さんになる」と、ニコニコ笑っていたことをよく覚えています。

 ただ、女性だけではなく男性人気もあったし、先輩や後輩の選手たちの支持率も高かった。高田さんは練習の前後に先輩たちと握手する時には、わざわざ自分の手を拭いてきれいにしてから、両手で握っていました。

 変な"色"がついていなくて、まっさらな性格。ただ、裏を返せば「影響を受けやすい」ということ。だから第1次UWFの旗揚げの時、最初はオープニングシリーズ(1984年4月11日~17日)だけの参戦という話だったのに、周囲の影響もあってUWFに残ったんだと思います。

――当時の髙田さんのライバルは、山崎一夫さん?

柴田:山崎さんのほかにもいっぱいいました。前田さんや平田さん、ジョージ高野さんもそうだし......みんながライバルでしたよ。

 みんな個性があった。髙田さんは特にキラリと光っていましたね。本当に格好よかった。

――第1次UWFの旗揚げ戦は、1984年4月11日、埼玉県・大宮スケートセンターで行なわれました。ラッシャー木村さんや剛竜馬さん、マッハ隼人さんらも参戦しましたね。

柴田:1984年に第1次UWFが始まった時、僕は東スポの若手記者で、上司から「UWFの取材に行ってこい」と言われました。東京から関東近県まで、日帰りの取材ばかり。試合後は電車で帰って来られなかったので、会社の車を出してもらって移動。その日のうちに会社に戻って原稿を書くことが多かったです。

 まだビッグマッチと呼ばれる試合も少なかったんですが、1985年9月2日大阪臨海スポーツセンターで行なわれた、スーパー・タイガー(佐山聡)vs前田日明の不穏試合など、印象深い試合もありました。

――どんな試合でしたか?

柴田:前田さんが佐山さんのキックを何発も受けつつ、金的だけをガードしながら、ひたすら無言で前へ前へと出ていった試合。試合は、途中で佐山さんが手を挙げて「金的です」とアピールして中止になった。当時はそういう不穏な試合がしばしばありました。

――髙田さんは、第1次UWFのオープニングシリーズに全日程出場していますね。

柴田:それも、もっと遡ると4月11日の旗揚げ戦のみの参戦のはずでした。「約束だから1試合だけ」と言っていたのが、前田さんや藤原喜明さんの誘いもあったのか、そのままUWFに移籍。新日本のファンは激怒していましたね。

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