猪木とフレアーの禁断ツーショット、三沢光晴の結婚スクープ......東スポ時代の柴田惣一が見た昭和プロレスの裏側 (4ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――そういえば、柴田さんは全日本と新日本との間で選手の"引き抜き合戦"が行なわれていた時期、ハワイで猪木さんとリック・フレアーを引き合わせしましたよね。

「1985年の2月13日に、新日本の猪木さん、坂口さん、藤波辰巳(現・辰爾)さんらがハワイのNBCホール大会に参戦して、その興行にフレアーも出場していたんです。対戦相手がケリー・フォン・エリックで、NWA世界王座戦を行なった。

 それで『フレアーもハワイに来ている』と探してみたら、シェラトン・ワイキキホテルに宿泊していて、プールで女の子とのんびりしていた。そこで、別のホテルに泊まっている猪木さんに電話して、『フレアーがワイキキホテルにいます。会いに行きましょう!』と持ちかけたんです。すると、猪木さんは『しょうがねえな。おまえに頼まれたから行くんだからな......』と了承してくれて、一緒にフレアーの泊まるホテルに向かったんです。

 ホテルに向かう途中のワイキキビーチでも、周囲から『あっ、猪木だ!』と言われていましたね。それでカメラマンにツーショットを撮影してもらったあと、僕たちはフレアーと猪木さんをふたりだけにして、いったんその場を離れたんです」

――どうして離れたんですか?

「超一流のレスラー同士、ふたりだけで話したいこともあるだろうから。ただ、失敗したのは、座っている写真を撮らなかったこと。立ったままのツーショットで、偶然会った感じの写真になってしまった。その後、東スポと馬場さんとの関係もあるから、急いで会社に電話しました」

――当時のフレアーはNWA世界王者。NWAは全日本と提携していたので、全日本としては猪木さんとフレアーのツーショットは、あまり好ましくないニュースですよね。

「そのツーショットは、東スポが出版していた週刊誌『ザ・プロレス』の表紙になりました。後日、馬場さんはフレアーに『どういう経緯で写真を撮影したのか』と説明を求めたみたいです。それから、編集局長宛に直々の電話がかかってきたらしくて(苦笑)。

 そんな初対面から10年後。1995年4月28、29日の二日間、北朝鮮で38万人を集めた『平和の祭典』が開催されました。そのメインイベントで、猪木さんはフレアーと戦ったんです。力道山さんの故郷で、当時アメリカンプロレスの象徴だったフレアーとね。あの時、ハワイのシェラトン・ワイキキホテルでどんな話をしたのかはわかりません。でも、あの出会いが1995年4月の北朝鮮のリングに繋がったんじゃないか......なんて思ってます」

(連載2:猪木を全日本の試合会場に誘った柴田惣一 馬場がひとり、張り詰めた緊張感のなかリング上で待っていた>>)

【プロフィール】
柴田惣一(しばた・そういち)

1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として『夕刊フジ』などで連載中。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務める。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。

【写真】ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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