猪木とフレアーの禁断ツーショット、三沢光晴の結婚スクープ......東スポ時代の柴田惣一が見た昭和プロレスの裏側 (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【スタッフから聞いた三沢結婚のスクープ】

――柴田さんは常々、「ニュースは自分で作れ」とおっしゃっていますね。

「先輩は手取り足取りでなんて教えてくれないですし、『見て覚えろ』でしたから。基本的な記事の書き方も自分で覚えた気がするな(笑)。原稿用紙に手書きで、直されて真っ赤な原稿を突っ返されて。現場でも、相手に最初だけ紹介してくれるくらい。もっとも、自分から行かないといけませんけどね。

 現場ではニュースになるような出来事なんて、そうそう起こりません。多団体時代の今とは違ってオフも長いし、事務所や道場に顔を出してもネタがなくて。しかも昔は、レスラーに話を聞いても『適当に記事にして』でしたから(笑)」

――試合後の選手インタビューなども、昔はなかったのでしょうか?

「インタビューするのはメインイベントのみ。今のように全試合でコメントを出すなんてあり得ませんでした。リング上でのマイクインタビューもTVマッチだけ。それも毎週じゃなくてビッグマッチだけでした。

 若手はもっとインタビューのチャンスがなくて、デビュー戦か、海外に行くとか、タイトルに挑戦するとか、そんな時だけ。だから、とにかく選手との雑談のなかから、ニュースになるようなネタを引っ張り出すんです。こちらが『これは○○ということですよね』と提案し、選手が『そうそう』と言ったことが、選手の言葉として記事の見出しになることも少なくなかったですね」

――選手との距離感はどうでしたか?

「僕が入社した時は、男子の団体は新日本と全日本のふたつしかなかった。シリーズが終わると、道場でみんなとチャンコ鍋を食べたりして、密な関係を築いていきました。それに昔は、記者席がリングサイドにあったのがよかったです。今は離れた場所、モニターで見る会場が多いから大変ですね。そうなると、選手の表情や息遣いを感じることができないから。

 あとは、新日本の田中ケロ、全日本の仲田龍といった歳が近いリングアナウンサー(=リングアナ)が情報を持っているんで、会場入りするや否や『何か面白いことない?』とワーワーやっていました。昔は記者席の隣にリングアナがいて、試合中、仲田龍とワチャワチャと話しをしていたら、『あんたら、何をしゃべっているの!』と元子さん(馬場さんの奥さん)に怒られたことがありますよ(笑)」

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