歌舞伎町の「伝説のキャバ嬢」のレスラー人生は飲みの席での叫びから始まった 丸藤正道に「プロレスラーになりてえ!」 (3ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by 林ユバ

 大学へは行かなかった。親に「夢がないんだったら就職しなさい」と言われ、そのとおりにしたのだ。就職活動をしたら応募できるのがスーパーか工場しかなく、高校卒業後、地元のスーパーに就職した。門限は21時。仕事が終わったら真っ直ぐ家に帰った。

 しかし、半年で限界がきた。なんとなく就職したため、仕事は面白くない。門限も厳しい。すべてから逃れたいと思い、会社を辞め、家を出ることにした。

「初めて自分の意志で人生を決めました。親に、『会社を辞めてひとり暮らししたいです』とお願いして。一応、部屋は借りてくれたので、家出まではしてないですけど」

 仙台に引っ越した初日に美容院へ行き、金髪にした。つけまつ毛をつけ、キャバ嬢のドレスを買い、求人広告で探した国分町のキャバクラの面接に行った。もちろん、親には内緒だ。

「その頃、『小悪魔ageha』という雑誌がめちゃくちゃ流行ってて、なりたい職業ランキング1位がキャバ嬢だったんですよ。稼げて、見た目も可愛くできる、みたいな。わたしは中学からずっと同じ髪型、同じ顔で生活してきて、その反動で『派手にしたい』という気持ちが溢れちゃった。自分を180度、変えたかったんですよね」

 18歳の終わり、国分町の小さな店からスタートし、22歳の時にNo.1になった。月収は100万円超え。No.1になるという目標が叶うと、次の目標が出てきた。「歌舞伎町でNo.1になりたい」――。その直後、東日本大震災が発生する。

「断水に、停電。仙台市はかなりやばかったです。でも震災を通して、価値観が変わったんですよ。温かいお風呂に入るとか、お湯が出ることって当たり前じゃない。1日1日、奇跡が起きていると思うようになった。当たり前のことなんてひとつもなくて、いつどうなるかわからない。だったら夢に向かって挑戦しようと思いました」

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