歌舞伎町の「伝説のキャバ嬢」のレスラー人生は飲みの席での叫びから始まった 丸藤正道に「プロレスラーになりてえ!」 (2ページ目)
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リアラは1989年、宮城県栗原市に生まれた。家の周りは一面、田んぼで、隣の家まで200mも離れている田舎町。父は警察官、母は銀行員、祖父が学校長、親戚ほぼ全員が自衛隊員という厳格な家系だったが、長男と12コ、次男と10コ年齢が離れて生まれたリアラは、厳しくも愛情深く育てられた。
自らの人生を振り返ったリアラこの記事に関連する写真を見る 引っ込み思案で、小学校から高校まではほとんど友達ができず、いつもひとりで教室の隅にいた。習い事は習字とそろばん。部活は中学が吹奏楽部、高校は茶華道部。根っから運動が嫌いで、体育の授業はすべて仮病で休んだ。
そんな彼女がプロレスと出会ったのは、小学校4年生の時。柔道経験者で格闘技好きの父と、12コ上の兄の影響で、テレビで『ワールドプロレスリング』を見たのがきっかけだ。瞬く間に夢中になり、『週刊プロレス』や『週刊ゴング』を読み漁った。大仁田厚の"大仁田劇場"に魅了され、初恋の相手は天山広吉。リアラは天山の顔が好きだったという。
将来の夢はプロレスラー。TBS系のバラエティー番組『ガチンコ!』の「女子プロ学院」を見て、LLPWに履歴書を送った。
「普通の女の子たちが3カ月でプロレスデビューを目指すコーナーで、コーチは神取忍さんと風間ルミさん。最後、ひとりがデビューしたんですよ。最初はなにもできなくて、嗚咽していた人たちのなかからデビューしたのを見て、『夢って叶うんだ』と子どもながらに思いました」
しかし、LLPWの応募資格は16歳。当時、10歳だったリアラは書類選考で落ちてしまう。
【仙台に引っ越した初日に金髪に】
警察官の父は、絶対君主。母も逆らうことができず、なんでも「はい」としか言わない。リアラ曰く、"家にずっと警察がいる感じ"で、常に緊張感が漂っていたという。
転勤でしばらく単身赴任していた父が、リアラが中学3年生の時、家に戻ってきた。思春期真っ只中で、オシャレしたい、化粧もしたい年頃。父と衝突した。父のことが大嫌いになった。高校生になってからも、門限は17時。1分でも遅れると怒鳴られ、正座させられて説教される。部活にもろくに行けず、授業が終わると帰って寝るだけの生活が続いた。
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