いきなりヒョードルから名指しで対戦。石井慧が向かい続けてきた過度の期待に「異様にハードルが高かった」 (3ページ目)
ヒョードルから「年末は石井とやることにした」
インタビューでは冗談も交えながら質問に答えたこの記事に関連する写真を見る――金メダルを獲得した時は21歳。五輪連覇も期待される中でプロ格闘家に転身しますが、当初はUFCとの契約を目指していたんですか?
「そうですね。でも、契約が期限の中でまとまりませんでした」
――2009年大晦日のデビュー戦(「Dynamite!!~勇気のチカラ2009~」)は、同じ柔道出身の吉田秀彦さんでした。石井選手への期待値は、とてつもなく大きかったです。
「僕だけ、異様にハードルが高いですよね(笑)。K-1に出ることになってからも結果をすぐに求められますし」
――当時、柔道やレスリングなどでキャリアを十分に積んでからプロの格闘家に転身する人が多かったなか、バリバリの金メダリストが総合格闘家になることは珍しかったですね。
「いや~......というより、何かを言われやすい人っているじゃないですか。学校でも先生によく目をつけられる生徒みたいな。僕はそんな感じなのかな(笑)」
――そうじゃないと思いますけどね(笑)。「ヘビー級で世界と戦える若い選手が来た」という期待だったと思いますが、結果が出せずにつらい時もありましたか?
「格闘技以外のことで思うようにいかなくて、きつい時がありましたね。例えば、自分はもっと試合のペースを早くして、相手のレベルは段階を踏んで上げて行きたいという思いがあった。でも、名前が先行した分、それができませんでした」
――エメリヤーエンコ・ヒョードル選手とも早い段階で対戦(総合格闘技に転向後7戦目。「元気ですか!! 大晦日!! 2011」)していますね。
「早かったですね(笑)。あれは、ヒョードルから言われたんですよ。ヒョードルがロシアでジェフ・モンソンと対戦して勝ったあと、会見で『年末は石井とやることにした』って。友達からも『ヒョードルが石井とやるって言ってるぞ!』って連絡が来ましたよ(笑)。これは断っちゃいけないなって思いました」
――戦える時に戦うというスタンスなんですね。
「相手がいつ引退するかもわからないし、お互いにケガをして対戦できなくなる可能性もある。自分が50歳、60歳になった時に、キャリアを振り返って『あぁ、俺ヒョードルともやってるよ』となれるのはいいですよね。今現役の選手たちも、引退して10年、20年経ったら誰も気にしなくなる。辿ってきたキャリアを振り返るのは自己満足ですね」
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