女優とプロレスの二刀流を実現する志田光。「1年だけ」から始まったスターへの道 (4ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • 林ユバ●撮影 photo by Hayashi Yuba

プロレスだけが全然向いてない

 本当に、なんでもやった。映画の第二弾ではコーチを務め、アイスリボンのプロレスサークルも担当。JEWELSから総合格闘技の試合オファーが来た時も、経験はなかったが迷わず受けた。1か月間、猛特訓したが、浜崎朱加に1R38秒で一本負けした。

 同じマッスルビーナス出身である藤本つかさは驚くべきスピードでプロレスに順応し、松本都もアイスリボングランドスラムまで達成。志田はスポーツ経験があることで周りの期待値は高かったが、なかなか結果を残せない。焦りを感じた。

「子供の頃からずっとエースみたいな立ち位置で、やればなんでも器用にできていた。そういうのがプロレスではまったく感じられなくて。プロレスだけが全然向いてないんだなと思いました」

 筆者が「プロレスは難しいですよね」と言うと、「難しいですけど、難しいことが問題じゃないんです」と言う。

「柔道でも剣道でも、難しいことを練習してできるようにするということは、子供の頃から繰り返してきました。プロレスに関しては本当に、なにが難しいのかもわからない。なにをしたらいいのかもわからない。『わからない』という感覚って、今まで感じたことがなかった。これが正しいのかどうかもわからないまま頑張るのは、苦しかったですね」

 未だにプロレスがどういうものか、どうあるべきものか、わからないという。ただ、自分が目指すべき方向を見つけられたのは、さくらえみがアイスリボンを退団した2012年1月。志田、藤本が2トップでアイスリボンを引っ張っていくことになった。「さくらえみが抜けたらアイスはやっていけるの?」という声が大きい中、志田は「チャンスだ」と思えたという。

「部活の影響もあってか、先輩には『ハイ』しか言っちゃダメっていう感覚があったんです。こうしたいんです、ああしたいんですって、それまであんまり言えなかったんですけど、急にトップになって、自分の意志をちゃんと出していかなきゃと思いました。そこからはもう、遠慮なく!」

(後編:米団体の王者になって感じた日本とアメリカの違い>>)

【プロフィール】
■志田光(しだ・ひかる)
1988年6月11日、神奈川県高座郡寒川町生まれ。2008年、映画『スリーカウント』のオーディションに合格。映画出演のため、プロレスラーとしてデビューすることに。同年8月23日、アイスリボン新木場大会でデビューし、映画では主役の座を獲得。2014年4月よりフリーとなり、2017年2月よりMAKAIに所属。2019年4月、アメリカの新団体・AEWと契約を結び、2団体所属となる。2020年5月、AEW女子世界王座に勝利して第3代王者となる。2021年5月まで1年に渡り防衛し、AEWのトップレスラーのひとりとして活躍を続ける。Twitter>>@shidahikaru

【公演情報】
「第69回魔界 BLACK NIGHT」
2022年5月13日 (金)19:00開演予定/かめありリリオホール
詳細はこちら>>

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