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中邑真輔が胸中を語る「WWEに移籍した本当のわけ」 (2ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • タカハシアキラ●写真 photo by Takahashi Akira

―― 初めて海外に行かれたのは、2002年デビュー戦後すぐに渡った、新日本プロレスLA道場でしょうか。

「大学時代にも海外遠征はしましたが、現地で生活したのはLA道場が初めてです。引退したダニエル・ブライアンとリョート・マチダと3人で、3カ月間。サンタモニカのアパートです。2006年にも肉体改造のために行くんですが、試合ができない状況で焦りを感じていました。無期限だと言われていたので、やれることはすべてやりましたよ。ボクシング、ボディビル、柔術や格闘技、そしてLA道場でプロレス」

―― LA道場は、ストロングスタイルの外国人選手を育てる目的で創設されたと聞きます。ストロングスタイルは、海外でどのように捉えられているのでしょうか。

「アメリカ人のレスラーから、『シュートスタイルのことか?』と聞かれることがあるんですが、僕が言っているのは、ボクシングやレスリングのプロが見ても、"本物"だと思う技術。かつそこに、アントニオ猪木が提唱する"怒り"や生の感情を落とし込むスタイルが加わったものだと」

―― "KING OF STRONG STYLE"と呼ばれる中邑選手。WWEでもストロングスタイルを貫きますか。

「ストロングスタイルというものを、そこまで意識はしていないです。本物の技術に裏打ちされ、本物の感情をリングに落とし込むことが、ストロングスタイルだと解釈している。自分のプロレスはそういうものだと思っているので、意識するにしろしないにしろ、自分がやるというのはそういうことですね」

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