【SVリーグ】最大の強敵は自分自身と話すムセルスキー「そんな手強い相手に打ち勝つには、練習するしかない」
ドミトリー・ムセルスキー/サントリーサンバーズ大阪
ロングインタビュー 第3回(全4回)
サッカーのJリーグだけでなく、バレーボールのSVリーグにも、さまざまな国からやってきた外国籍選手が在籍している。彼らはなぜ、日本を選んだのか。そしてこの国で暮らしてみて、コートの内外でどんなことを感じているのか。シリーズ初のバレーボール選手は、先日、今シーズンかぎりでの現役引退を発表した元ロシア代表ドミトリー・ムセルスキーだ。
第1回から読む >>> 今季で引退のドミトリー・ムセルスキーが8年前に来日したワケ「日本のバレーボールの成長の理由が知りたかった」
第2回から読む >>> ムセルスキーの長い独白「バレーボールが導いてくれたこの旅路は、言葉で言い尽くせないほどすばらしいものだった」
【13歳の時にプロの試合を始めてみて同じ道を辿ることを決意】
旧ソ連南西部のマキイフカ(ソ連崩壊後にウクライナとなり、現在はドネツク人民共和国の施政下)で生まれたドミトリー・ムセルスキーは、片田舎で恵まれない幼少期を過ごしたという。生家の周りには草原や牧場が広がり、彼の家族は野菜や家畜を育てて糊口の資を得ていた。
ドミトリー・ムセルスキーの大きな手に持たれると、ボールは小さく見える photo by Shogo Murakami
8歳の時、学校の体育の先生が彼にバレーボールを勧めた。教え子の身体能力と天性のポテンシャルを見出したその教師こそ、ムセルスキーに「すばらしい旅路」のドアを開いた人だ。
彼の実家にテレビの有料チャンネルはなく、当時はインターネットも普及していなかったため、少年時代にトップレベルのスポーツを観る機会はなかった。だからバレーボールをする上で、誰かに憧れたことはないという。
「あの頃は見よう見まねでプレーしていた。周りの選手たちの動き方、スキル、特徴を観察し、いいと思えたものは取り入れていたんだ。他に方法がなかったからね」
13歳の時、その体育教師にロシア・バレーボール・スーパーリーグの試合に連れて行ってもらった。そこで輝かしい光景を目にした瞬間こそ、ドミトリー少年を突き動かしたターニングポイントだ。
「バレーボールを生き生きとプレーし、それを仕事にしている人がいることを知った。その時、私は決心したんだ。このスポーツに本気で取り組み、自分も彼らと同じように、バレーボールで生きていこうと」
体育の先生が見出していたように、ムセルスキーにはバレーボールの才能があり、特別な遺伝子も備わっていた。ただしトレーニングに明け暮れていた彼は、自身の身長を取り立てて気にしたことがないという。
「周りの人から、君は背が高いと言われていたけれど、自分ではよくわからなかった。だからいつ2メートルに達したのかも、本当に覚えていないんだ。おそらく10代の頃だったと思うが」
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著者プロフィール
井川洋一 (いがわ・よういち)
スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。

