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【SVリーグ】最大の強敵は自分自身と話すムセルスキー「そんな手強い相手に打ち勝つには、練習するしかない」 (3ページ目)

  • 井川洋一●取材・文 text by Yoichi Igawa

【「自分自身に打ち勝つしかない。とても手強い相手だが」】

 それなら尋ね方を変えてみようと思い、一番タフだった相手は誰かと訊いてみた。

「いい質問だが、それは自分自身だ」

──バレーボールは個人競技ではなくチームスポーツだけど、それでも?

「もちろん。練習で繰り返してきたことを試合でそのまま出せればいいが、そんなに簡単ではない。多くの観衆に注目され、思うように身体が動かない時もある。すると自らを疑ってしまったり、弱気になってしまったりすることがある。そんな時、自分自身に打ち勝つしかない。とても手強い相手だが」

 そんな強敵を打ち負かすには、何が重要なのかと訊くと、ムセルスキーは即答した。

「プラクティス! たくさん練習するしかない。それが唯一の方法だ」

 ここでもまた、ムセルスキーとフットボール界のレジェンド、デイビッド・ベッカムが重なった。かつてある同業者が「あなたはどうしてそんなに正確なキックが蹴れるのか」と元イングランド代表MFに尋ねたら、彼もまた「プラクティス!」とすかさず返答したという。当然と言えば、当然のことだけれども。

「スポーツでは準備が肝心だが、完璧に準備できたことなど一度もない。だから自分に打ち勝つためには、練習するしかないんだ」

 ムセルスキーの言説を聞いていると、個人競技のトッププレーヤーのようにも思えてくる。自分自身との戦いに直面するテニス選手や、スタート地点に立った時にほぼ勝負が決まっているマラソンランナーのように(つまりどれだけいい準備をしてきたか)。

 だが、実際にコートに立っている時のムセルスキーの印象は異なる。笑顔で仲間を盛り立て、チームメイトに感謝する、れっきとしたチームプレーヤーだ。

(つづく)

第4回を読む >>> ムセルスキーが日本で一番印象に残っている試合「私は妻の誕生日で一度も負けたことがない」

ドミトリー・ムセルスキー Dmitriy Muserskiy
1988年10月29日生まれ、旧ソ連・マキイフカ(ソ連崩壊後にウクライナ領となり、現在はドネツク人民共和国の施政下)出身。8歳でバレーボールを始め、15歳でプロになり、23歳の時にロシア代表として出場したロンドン五輪の決勝で大活躍し、金メダル獲得に貢献した。W杯、欧州選手権、チャンピオンズリーグ、クラブ世界選手権など、代表とクラブの双方で様々なメジャータイトルを手にした後、29歳の時にサントリーサンバーズ大阪へ移籍。日本での8シーズン目となる今季かぎりで、現役を退くことを表明している。身長218センチ、ポジションはオポジット(元はミドルブロッカー)。

著者プロフィール

  • 井川洋一

    井川洋一 (いがわ・よういち)

    スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。

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