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【部活やろうぜ】関田誠大がバレー漬けの高校時代に学んだこと「信頼して任せてもらったおかげで自主性が身についた」

  • 市川 忍●取材・文 text by Shinobu Ichikawa

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 学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。

 この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!

連載「部活やろうぜ!」
【バレーボール】関田誠大インタビュー前編(全2回)

 日本代表の司令塔として2024年パリ五輪に出場し、チームのベスト8に貢献した関田誠大。常に冷静で、相手を観察し、ディフェンス戦略の裏をかくトスワークを信条としている。小学校の時にクラブチームでバレーボールを始め、部活動として駿台学園中学、東洋高校、中央大学でバレーボールに取り組んできた。そして、学生時代すべてのカテゴリーで日本一になっているエリートプレーヤーでもある。関田にとって部活動での経験は、どのように今につながっているのか。
中学、高校、大学の部活動時代を振り返った関田誠大 photo by Sunao Noto(a presto)中学、高校、大学の部活動時代を振り返った関田誠大 photo by Sunao Noto(a presto)

【自ら選んで進んだバレー漬けの日々】

――東洋高校を選んだ理由は?

「まずは東洋高校の監督が僕に興味を持って声をかけてくださったこと。あとは1学年上の柳田将洋選手(東京グレートベアーズ)の存在も大きかったですね。柳田選手とは同じチームでプレーしたことはなかったんですけど、幼いころから顔見知りだったんです。彼に声をかけてもらったので『一緒にやりたい』という思いもあって決めました。中学時代から柳田選手はバレーボールの世界で有名でしたし、高校のときもそのカテゴリーでトップにいる選手。すごい選手から声をかけてもらってうれしかった記憶があります」

――柳田選手は関田選手が入ってきて「優勝候補に名前が挙がるようになった」と言っていました。

「優勝候補ですか⁉ いやぁ、僕のほうは入学したばかりで、まずはチームメイトのことを理解しなければいけないとか、いろいろと考えることが多くて、周りの評価などはまったく気にしていなかったですね。そもそも中学まではセッター以外のポジションも兼任していて、高校で『セッター一本でいこう』と決めたばかり。がんばろう、一生懸命やっていこうという思いしかなかったです」

――練習は厳しいと感じましたか?

「いや、全然厳しくないです。叱られるようなことは一度もなかったですね。練習量も全然、多くないですよ。授業のない日、ほかの学校は丸一日練習するんでしょうが、僕たちは半日で終わったり......。ほかの高校と比べたらラクだったんじゃないですかね。ただ、僕は『これでは足りない』と感じて、自主練習やトレーニングを個人的にやっていました。全体練習が終わったあとに、ひとりで残ってトスの練習をしたり、アタッカーにつき合ってもらって練習したりしていました」

――青春という言葉を思い起こすような思い出はありますか

「バレー漬けの日々というか......。居残ってひとりでボールを触ったり......というのは『青春』っぽいかもしれません。セッターになってからは、とにかくトス練習とか、家でも常にバレーボールを触っていましたから。あと、縄跳びもよくやっていましたね。特に高校時代は『練習量が足りない!』と思っていたので、自分なりに増やしていました。そういうのが部活の思い出ですね。あとは春高バレー(当時・全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)で優勝したことですかね。一度も負けずに頂点まで行くのって誰もが経験できることではありません。毎試合、目の前のことに集中しているうちに決勝まで勝ち上がっていったという感じです。とにかく『勝ちたい』という気持ちで突き進んだ感覚ですね」

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