【部活やろうぜ】厳しい大学時代をともに乗り越えた同期との絆「今でも大切な友人たちです」
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学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
【バレーボール】関田誠大インタビュー後編(全2回)
中央大学4年生の時には主将も務めていた photo by AFLO SPORT 自主的に動くことの多かった東洋高校時代から一転、中央大学では厳しいと感じることもあった。そんななか、ともにバレーボールに打ち込んだ同期とは絆が生まれた。大学時代に学んだこと、現在につながっていることを聞いた。
【セッターとしてのスタイルが確立された大学時代】
――その後、中央大に進学します。大学の部活動はどうでしたか?
「高校までの自由な雰囲気とは全然、違いましたね。まず、部活動のいろいろな決まりごとがあって、そのルールに従って生活しなければいけませんでした。特に1年生のときには、1年生が担当する仕事があって、練習開始よりかなり早く体育館に来て準備をします。寮生活も初めてだったので、最初は戸惑いましたね。高校までって先輩は3年生までしかいないじゃないですか。でも大学は4年生がいる。1学年プラスしただけなんですが、僕たちにとっては『急に大人が増えた』という感覚でした。もちろん理不尽だなって思うこともありましたが『社会ってこういうものなんだなぁ』と、大人の世界を垣間見ることができたと思っています」
――当時、中央大の監督を務めていた松永理生さん(サントリーサンバーズ大阪コーチ)によれば、関田選手は練習メニューについて「意味がわからないです」と言い返してきた、おそらく自身の確固たる信念があってのことだと話していました。当時のことは覚えていますか?
「それが、覚えてないんですよ。松永さんからも頻繁に当時のその一件の話を聞くのですが、自分ではまったく覚えていない(苦笑)。おそらく練習の内容の違いに戸惑っていて、そういう態度をとってしまったのかもしれません。監督とかコーチとか、教える人が変わると指導方法も変わりますから。松永さんは元Vリーグの選手で、そこでの経験もありました。アマチュアだけで指導をしてきた監督とはまた全然違う指導方針があったのではないかと思います。今はもっと柔軟に、まずは提案された通りにやってみようと試みる気持ちはあるので、当時はまだ自分が子どもだったんだろうなって思います(笑)」
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