【SVリーグ】ムセルスキーの長い独白「バレーボールが導いてくれたこの旅路は、言葉で言い尽くせないほどすばらしいものだった」 (3ページ目)
【最愛の妻と息子のために残りの人生を捧げたい】
日本での8年間は、実に有意義なものだった。この経験に心から感謝しているよ。でもそろそろ、家族のことを最優先にすべきだと感じている。これまでは遠征で家を空けることも多かったが、これからは家族と長く一緒に過ごしたいんだ。また自分自身もロシアに戻り、親しい友人や親戚の近くで暮らしたいと思っている。私のルーツはそこにあるのだから。
バレーボールが導いてくれたこの旅路は、言葉で言い尽くせないほどすばらしいものだった。このスポーツは、私に得難い経験とたくましい精神、人生の教訓、そして多くの友人をもたらしてくれた。それらはこれからも自分のなかで生き続ける。
でも、そのチャプターは終焉を迎えようとしている。もちろん、最後まで全力を尽くすことは約束する」
ムセルスキーが長いモノローグを終えると、アリーナは再び静寂に包まれた。こちらも返答ができず、色々なことを想像した。
固い床の上で218センチの巨躯を素早く激しく動かし続ければ、身体のさまざまな箇所に不具合が生じるだろう。実際、彼は両膝の靭帯を断裂したことがあり、そうした怪我もあってリオデジャネイロと東京と二つの五輪を欠場している。この日も両膝に、ほかの選手がつけているものよりも明らかに頑丈そうなサポーターを巻いていた。
またロンドン五輪で英雄と崇められながら、その後に負傷で代表戦を欠場すると、母国のファンに裏切り者と呼ばれたり、複雑な出生地と国籍変更──ウクライナからロシアへ──により、いわれのない非難にも遭ったりしたこともあったという(2017年にポーランドのメディア『スポルトヴェファクティ』に打ち明けている)。
そんな現実が嫌になり、代表招集を辞退したこともあったようだ。国を代表するトップアスリートは、わがままなファンやメディアによって、残酷な仕打ちを受けることがある(例えば、フットボールの元イングランド代表デイビッド・ベッカムなども)。
だがムセルスキーにはそうした身体的、精神的な苦境を一緒に乗り越えてくれた妻がいた。そして今は息子もいる。これまで彼を支えてくれたふたりのために、残りの人生を捧げたい。
それはまぎれもない彼の本心だろう。
(つづく)
第3回を読む >>> 最大の強敵は自分自身と話すムセルスキー「そんな手強い相手に打ち勝つには、練習するしかない」
ドミトリー・ムセルスキー Dmitriy Muserskiy
1988年10月29日生まれ、旧ソ連・マキイフカ(ソ連崩壊後にウクライナ領となり、現在はドネツク人民共和国の施政下)出身。8歳でバレーボールを始め、15歳でプロになり、23歳の時にロシア代表として出場したロンドン五輪の決勝で大活躍し、金メダル獲得に貢献した。W杯、欧州選手権、チャンピオンズリーグ、クラブ世界選手権など、代表とクラブの双方で様々なメジャータイトルを手にした後、29歳の時にサントリーサンバーズ大阪へ移籍。日本での8シーズン目となる今季かぎりで、現役を退くことを表明している。身長218センチ、ポジションはオポジット(元はミドルブロッカー)。
著者プロフィール
井川洋一 (いがわ・よういち)
スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。
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