元日本代表・齋藤真由美が辿った波乱のバレー人生。大人への不信、引きこもり、事故での大ケガに「まったく先が見えなかった」 (4ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • 松永光希●撮影 photo by Matsunaga Koki

【メンタルがやられた中での「支え」】

――そんな時に支えになったのは?

「私が入った救急病院では、70代の看護師さんに本当にお世話になりました。救急病院には鏡がなくて、自分の顔がどうなっているのかわからないんです。フロントガラスに強打して、いろんなところにガラスが刺さっていたわけですから、ひどい状態なのは覚悟していましたけどね。その時に看護師さんが、『女の子だし、顔がどうなっているか気になるよね』と、自分のカバンから小さな手鏡を出して顔を見せてくれたんです。

 鏡に映った自分の変わり果てた顔に落ち込みましたが、その時に看護師さんが『あきらめちゃダメよ。頑張っていれば、その傷が人生の勲章になる時が必ずくるから』と言ってくれて。その言葉が支えになり、どんなことに対しても努力を続けてこられたと自負しています。この傷は何があっても乗り越えられる"勲章"と思うことができるようになりました」

――壮絶な経験ですね......。結局、復帰までにどれくらい時間がかかったんですか?

「手術後から約4年半なので、その前の肩のリハビリと合わせるとトータルで約6年半、コートから離れていました。全日本で活躍できていた時などは周囲に人が多く、最初のリハビリ中は応援の声も届いていましたが、時が経つにつれてなくなっていき、"ひとりぼっち"になっていく感覚がありました。イトーヨーカドーの体育館は地下がトレーニングルームになっているんですが、上でみんなが大きな声を出しながら練習しているなかでリハビリをしているうちに、メンタルをやられてしまって。

 チームドクターの安井慎太郎先生の病院に転院して、母と一緒に1年くらいお世話になりました。場所は北海道でしたが、『ちょっとバレーから離れたほうがいいだろう』ということで。いろいろな治療が繰り返されて少し落ち着いた時に、安井先生が『体は動かなくても、アドバイスしたりすることはできるだろう』と、道内の少年団バレーチームの練習に連れて行ってくれたんです。

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