元日本代表・齋藤真由美が辿った波乱のバレー人生。大人への不信、引きこもり、事故での大ケガに「まったく先が見えなかった」 (5ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • 松永光希●撮影 photo by Matsunaga Koki

 そのチームはあまり強くありませんでしたが、みんな目がキラキラしていて。当時、眉毛もすべて剃って、手術明けの宇宙人のような顔をした私に『教えて、教えて』と聞いてくるわけです。そこで自分のことを振り返ったんですよね。『負けない』『攻める』『つぶす』とか、そんなことばっかり考えていて、自分が求めていた『楽しむこと』がまったくできていなかった。その子たちに会って、『こんな目を取り戻したい』と思うようになりました」

――その後のリハビリはいかがでしたか?

「歩くこと、走ること、ボールを投げること......とにかく目の前のひとつずつを目標にして、クリアしていきました。再びコートに立たなければ、『楽しむこと』ができないままバレーをやめることになってしまうと奮起して、またチームに戻ってリハビリを始めました」

(中編:禁断の移籍を決断させた名将の言葉>>)

■齋藤真由美(さいとう・まゆみ)
1971年2月27日生まれ、東京都出身。1986年に15歳でイトーヨーカドーに入社し、エースアタッカーとして活躍。17歳で日本代表に選出された。その後はダイエー、山形県・天童市が本拠地だったパイオニアに移って活躍し、2004年に引退。引退後は解説者や天童市の教育委員などを経て、益子直美の「監督が怒ってはいけない大会」に参加。自身は「株式会社MAX8」の代表を務める。

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