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髙橋藍に聞いた海外挑戦への思い。「シニアで通用するのか」の見方を覆す活躍の裏にあったプレッシャーとの闘い (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

 オリンピックが東京で開催されることが決まったのは、小学校6年生の時。小学校2年から、2つ年上の兄・塁(日大4年:サントリーサンバーズへの加入が内定)と共にバレーに打ち込んでいた高橋にとって、東京五輪が「目指す場所」になった。

「本来、東京五輪が開催されるはずだった2020年の夏は、僕は18歳で迎えるはずだったので『ちょっと厳しいかな』という思いもありました。それでも、目標を変えずに努力を重ねて、春高バレーで優勝することができて、同年の代表に選出してもらうことができた。1年延期された東京五輪のメンバーにも選ばれた際には、『まずは楽しもう』と思いましたね。結果がどうあれ、自分が持っているパフォーマンスをすべて出してチームの勝利に貢献したいという考えで大会に臨みました」

 1年延期については、「成長できるということでプラスに捉えていました」というが、「2020年に合わせてピーキングを合わせていた選手は多く、大会延期によって歯車が狂って出場が叶わなかった選手もいます。だから、その選手たちの気持ちも背負って戦わないといけないという責任感も大きかったです」と振り返る。

 同大会で日本代表は、中垣内祐一監督が現役選手として出場した1992年バルセロナ五輪以来となる勝利と予選ラウンド突破を果たした。ベスト8という結果は十分に誇れるものだが、髙橋は表情を崩さなかった。

「僕が海外リーグを経験していたり、国際舞台での経験があったら、チームはもっといい成績が残せたんじゃないかという悔しさもありました。そういう意味で、東京五輪は次に繋がる、『イチから成長しよう』と思うことができた大会でしたね」

 髙橋はバレーボールを始めた頃から、アメリカ代表のエースであるマシュー・アンダーソンに憧れていたが、日本代表にも成長のお手本にしたい選手が何人もいる。その筆頭が、主将の石川祐希だ。

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