木村沙織が明かすロンドン五輪中国戦の不調。「キャリアで初めて」のプレーを続けていた (4ページ目)

  • Text by Sportiva

――ロンドン五輪が終わり、木村さんはトルコリーグのワクフバンク・テュルクテレコムというチームに移籍しました。海外でのプレーはいかがでしたか?
 
「当然ですが、日本とは生活がまったく変わりましたね。そのチームは世界中のエースが集まっていて、プロとしてプレーしている選手が多く、練習からすごく刺激的でした。毎日が国際大会での試合のようで、サーブやスパイクをレシーブする時も重いし、痛かった。

 コミュニケーションは難しかったですけど、監督も選手も英語を話す人が多かったですし、ボールが動いてしまえば何を言っているかはなんとなくわかりました。練習のほうが気楽で、日常生活でのコミュニケーションのほうが難しかったです。相手が何を言っているかはわからないけど、笑顔で『オッケー』と乗り切っていました(笑)。

とにかくすべてが新鮮で楽しかったです。Vリーグで長くプレーして、3大会連続でオリンピックに出場してメダルも獲れて、海外でもプレーできた。だからその1年で引退しようと思っていました」

――そうなんですね。2013年には日本代表のキャプテンに就任していますが、心変わりがあったんですか?

「いえ、家族やいろんな方にその意志を伝えていました。そんな時にちょうど眞鍋さんがトルコに試合を見に来たので、眞鍋さんにも『この1年で引退しようと思います』と言ったんです。そうしたら、『日本代表のキャプテンをお願いしたい』と返されて。予想外の言葉すぎて『あれっ』となりましたし、すぐには承諾できませんでしたよ(笑)。

 ただ、そう言ってもらえて『また違う自分になれるかもしれない』という新たな目標ができたという感じでしょうか。バレーで全部を経験したつもりが、まだキャプテンが残っていたかと。もしキャプテンを引き受けたら、日本代表はどんなチームになるだろうとイメージし始めた時に、『もう自分の意識が"次"に向かっている』と感じたので、『もうちょっと頑張ろう』とキャプテンを引き受けることにしました」

(後編:東京五輪で注目する「後輩」たち)

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