2021.07.25

木村沙織が明かすロンドン五輪中国戦の不調。「キャリアで初めて」のプレーを続けていた

  • Text by Sportiva

日本女子バレー伝説のエース
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 高校生でアテネ五輪に出場した木村沙織は、Vリーグの東レアローズでも中心選手として活躍し、北京五輪、ロンドン五輪にも連続で出場した。

 国際大会で結果を残し、「メダルを獲る」ことを目標に臨んだロンドン五輪準々決勝の中国戦では、自身の調子を見極めてある決意をして戦っていたという。その時の様子や、ロンドン五輪後にトルコリーグでプレーしていた際に眞鍋政義監督(当時)から告げられた「予想外の言葉」を明かした。

日本のエースとしてロンドン五輪を戦った木村沙織 photo by Ishijima Michi日本のエースとしてロンドン五輪を戦った木村沙織 photo by Ishijima Michi この記事に関連する写真を見る ――2008年の北京五輪は、アテネ五輪と同じ5位。その結果をどう受け止めましたか?

「引退してしばらく経ったから言えることかもしれませんが、まだ世界のトップの国々とは差があるな、と思いながら戦っていました。大会期間中のインタビューなどで『目標は?』と聞かれ際に『金メダルです』と答えてはいましたが、少しそれを言いにくくて。言いにくいということは、自分たちにその実力がないとわかっているということですよね。

 毎日一緒に練習して、もちろんオリンピックで勝つためにやっていたけど、実際にどういうバレーをすれば相手が崩れるかという具体的なイメージ、手応えが掴みきれていませんでした。最終的な5位という順位も、いいのか悪いのかわからない、というのが率直な気持ちでしたね」

――その手応えを掴んだ試合などはありますか?

「2010年の世界選手権で銅メダルを獲れたことです。メダル争いを勝ち抜いた経験ができたから、『頑張れば、オリンピックでもメダルが獲れるかもしれない』と思うことができました。もし、3位決定戦のアメリカとの試合に負けていたら、そのイメージを明確にできないままロンドン五輪を迎えることになったと思います。『あと少しでメダルに届く』と『メダルに届いた』では経験値がまったく違う。それまで、国際大会で結果を残せていなかったので、なおさらですね」