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新鍋理沙「あんなすごいスパイクは打てない」。攻撃より守備を選んだ転機 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

延岡学園に転校し、3年時に久光スプリングスに内定(写真:新鍋本人からの提供)延岡学園に転校し、3年時に久光スプリングスに内定(写真:新鍋本人からの提供) その後、新鍋は宮崎県の延岡学園に転校。そこでの恩師・佐藤美智雄に背中を押されたこともあり、3年時の2008年11月に久光スプリングスの内定選手になった。のちにチームに欠かせない選手になる新鍋だが、高卒1年目の2009-2010シーズンはわずか2試合の出場にとどまった。

 この時の心情について聞くと、子どもの時から負けず嫌いだった新鍋とは思えない、意外な返事が返ってきた。

「自分が出られるとは思っていなかったので、葛藤みたいなものはなかったですね。もともと、『入社して3年ぐらいやれればいいかな』と思っていたので」

 しかし、個性と実力があるチームメイトが新鍋のやる気に火をつける。長く日本代表のリベロとして活躍した佐野優子、2008年の北京五輪に出場した狩野美雪、鋭いクイックが持ち味だった先野久美子、司令塔の原桂子といった「テレビで見ていた」選手たちのプレーを見て、「私もああいうプレーがしたい、という気持ちが徐々に出てきた」という。

 のちに新鍋の武器となる守備力も、この時期から本格的に鍛えることになった。

「久光や他チームの選手を見た時に、『あんなにすごいスパイクは打てないな』と感じたんです。何か他の部分で自分の強みを持たないといけないと思って、それなら私は『攻撃よりも守備だろう』と」

 両親が共にバレーの指導者で、厳しい練習環境で学生時代を過ごしてきたことで土台はできていた。高校でもチームの得点源として活躍したが、「自分が絶対に決める」といった意識はなく、173cmという女子バレー選手としては大きくない身長でどう勝利に貢献できるか、と考えながら練習や試合に臨んでいた。

 変なこだわりがなかったからこそ、新しいことに挑戦しやすかったのだろう。レシーブを中心に守備を徹底的に鍛え、攻撃面も、スパイクはブロックアウトの技術を磨くといった方向にシフトした。

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