【男子バレー】天国と地獄を知る清水邦広。リオ最終予選に懸ける思い (3ページ目)
4年前の最終予選、本人は決して口に出さないが、清水が万全な状態ではないのは明らかだった。少しだけ、4年前の清水に何が起こっていたかを振り返ってみたい。
3月30日、右足腓骨筋腱脱臼を手術。
4月13日、プール歩行を開始。
4月20日、陸上での歩行が可能に。
5月7日、初めてボールに触る。
5月14日、初めてスパイクを打つ。
6月1日、ロンドン五輪最終予選開幕。
さらに大会中も全日本はアクシデントに見舞われた。中国戦のアップ中、中国選手のスパイクが主将・宇佐美大輔の顔面を直撃。日本は急きょ、正セッターの欠場を余儀なくされた。突然、出場の決まった控えのセッター近藤茂に、自身も万全でない清水は、「困ったら自分に持ってきてください」と声をかけている。
満身創痍ながら奮闘したが、ロンドンへの切符を逃した清水と全日本。
清水は、心に刻まれた傷を引きずった。その年のVリーグが開幕しても、心の闇は晴れなかった。ある試合中、ブロックされた瞬間、自身の不甲斐なさに、清水は思わずネットの支柱を殴りつけ左手甲を骨折してしまう。
「ロンドンを逃してから最初の2年間は、本当に苦しかったです。常に気分が沈み、何度もバレーをやめようと思いました。キャリアの中で一番つらい時期でしたね」
それでも現役を続行したのは、「ドン底の僕を、多くの人が支えてくれたから」だった。
「『この人たちの想いに応えることなく引退はできない。もう一度立ち上がって、結果を残さなくては終われない』と思ったんです。一緒に悩み、一緒に泣いた妻(歌手の中島美嘉さん)にも、奮い立たせてもらいました。だから、日本男子バレーの未来のためにも、支えてくれた人たちのためにもリオに行きたいんです。自分のためだけに行きたいと思うと、つらくなったら逃げ出してしまう。でも、励ましてくれた人のため、妻のためにリオに行きたいと思えば、どんな脅威にさらされても怯まず戦えます」
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