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シャラポワ、草津から始まった
栄光への足跡。最後まで貫いた己の美学 (4ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO


「自分の成し遂げたことの大きさも知らない、世間知らずな女の子だった」

 その時の自身を、彼女はそのように述懐した。

 個人的な思い出で言うと、その当時にアメリカで流れていた、あるテレビコマーシャルが印象に残っている。

 それは、テニスボールがゴム紐で土台につながれた商品のCMで、その映像のなかでシャラポワはボールを打ちながら、「これがあれば、ひとりでもテニスが上達できる!」というようなキャッチコピーを言っていたと記憶している。CM内のあどけなさを残す少女は、猛スピードで栄光と名声を獲得するウインブルドン女王の成長に、遠く取り残されているようだった。

 17歳で栄華を極めて以降、常に超然としたスターであり続けた彼女が、ほかの選手たちと一定の距離を置いていたのは有名な話である。時にその姿は他者の目に奇異に映ったが、同国のライバル、スベトラーナ・クズネツォワは、それは「当然だ」と明言する。

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