シャラポワ、草津から始まった
栄光への足跡。最後まで貫いた己の美学 (5ページ目)
「たしかに彼女は、私たちと打ち解けているとは言えなかった。それを『高慢だ』とか『鼻持ちならない』と言っていた人がいたのもたしか。でも、私はそう思ったことはない。誰もが彼女から、何かをむしり取ろうとしていた。彼女は、自分自身を守る必要があったのよ」
過剰なスポットライトを浴びる同胞に、そのような思いを抱く2歳年長者は、「マリアに関する、よく覚えていること」を振り返った。
まだジュニアだったか、あるいはツアーを周り始めたばかりだったのか......いずれにしても、お互いにまだ10代だった遠い日の記憶。マイアミ大会の会場でクルマに乗っていたクズネツォワは、父親と並んで歩くマリア少女に「送っていくよ」と声をかけた。
車中でどんな会話を交わしたかまでは、記憶が定かではない。ただ鮮烈に覚えているのは、顔に幼さを宿すシャラポワがすでに、プロとしての峻烈(しゅんれつ)な気構えを備えていたことだという。
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