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シャラポワ、草津から始まった
栄光への足跡。最後まで貫いた己の美学 (3ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO


 「飛行機、空港、広がるアメリカの大地----。何もかもが、とてつもなく巨大だった」

 引退を告げる手記のなかで、彼女は幼い記憶をそのように綴った。

 その手記でシャラポワは、「初めて立ったテニスコートは、コンクリートがボコボコで、ラインもところどころ消えかけていた」と、キャリアの原点に言及している。

 誰も気にも留めぬそのコートから始まり、彼女は世界中の異なる町の、あらゆるサーフェス(コートの種類)でプレーしてきた。

 初めてITF(国際テニス連盟)主催の大会を制したのは、15歳の誕生日の数日後。場所は、群馬県草津町。プロテニスプレーヤー、マリア・シャラポワの栄光への足跡は、温泉で有名な町の、砂利混じりの土のコートに刻まれた。

 草津で踏み出したその一歩が、世界で最も有名なテニスコートでの表彰式に至るまで、わずか2年と数カ月しか要しない。

 ウインブルドンの決勝戦で、セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を圧倒したその時、彼女は今の『マリア・シャラポワ』としてのレールに、なかば強制的に飛び乗ることになる。

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