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【車いすテニス】全仏優勝の上地結衣。途絶えかけたテニス人生 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 吉村もと●写真 photo by Yoshimura Moto

 第1セットは、互いに4つのサービスゲームをブレークされる接戦に。そして、ともに波に乗り切れないままタイブレークへともつれ込んだが、上地は落ち着いていた。

「今日はアニクもミスが多い。タイブレークに持ち込めば、勝つ自信があった」

 その言葉の通り、冷静にベースライン際の深いショットを繰り出し、ミスを誘った。そこから優勢にゲームを進めた上地は第2セットでサーブの確率も上がり、試合を完全にコントロール。高い集中力も、優勝の瞬間まで切れることがなかった。

 直前に行なわれた男子シングルス決勝を更衣室のテレビで観ていたという上地。国枝慎吾(ユニクロ)が4年ぶりの優勝を飾り、「自分もあとに続きたい」と試合に臨んだ。その国枝が、試合後に報道陣から上地について聞かれ、「彼女の活躍には刺激を受けますね、負けてられないです」と話していた事を伝えると、「えっ、そうなんですか」と驚きつつも、「嬉しい」と白い歯を見せた。

 高校3年生でロンドンパラリンピックに挑んだが、それまでは大会後にテニスを辞めるつもりだったという。テニスの海外遠征を通して外国の文化に触れたことで語学修得への興味が増し、外国語大学へ進学するか、就職をするかで悩んでいた上地には、「テニスは進路の選択肢になかった」という。

 だが、パラリンピックという世界最高峰の舞台に初めて立ち、「もう一度、日本代表としてこの場にいたいなと思ったんです」

 進学も就職もしない。退路を断ち、テニスプレーヤーとして生きていくという決断に反対する人もいたが、支援してくれている企業の後押しもあり、彼女は新たな一歩を踏み出した。

 「もともとテニスのセンスがあった」と、上地が高校1年生の頃から指導する千川コーチ。テニスに集中できる環境が整うと、上地はめきめきと力をつけていった。ロンドンの翌年にはウィンブルドンと全米オープンに出場。そして、先にも触れたように、今年は全豪オープンのシングルスで準優勝、ダブルスで優勝するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いだ。

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