医師を目指す元ラグビー日本代表・福岡堅樹の勉強法「時間で縛ることはせず、『できた』という感覚を大事に」
連載:NEXT STAGE~トップアスリートのセカンドキャリア
福岡堅樹インタビュー(中編)
◆福岡堅樹・前編>>現在医学部6年生「運動ってこんなにしないものなんだ」
15人制と7人制のラグビー日本代表として、ワールドカップとオリンピックの舞台にまで上り詰めた福岡堅樹。現在は順天堂大学医学部の6年生。数々の試練が待ち受けている最終学年を迎えたばかりだ。
福岡がラグビーのトッププレーヤーだけでなく医師を目指したのは、ごく自然な流れだったと言える。信頼の厚い町医者の祖父と、ラグビーの師でもある歯科医の父を間近で見ながら育ったからだ。
医師の家系で育った福岡堅樹がその道を志したきっかけとは? photo by Yuuri Tanimotoこの記事に関連する写真を見る「もともと医師の家系で、医療が身近な存在だったことが大きいですね。そして、すばらしい先生との出会いも医師を志(こころざ)す大きなきっかけになりました」
その先生とは、福岡の負傷からの復帰をたびたびサポートしてきたスポーツ医学専門の整形外科医で、のちにトップリーグ(現・リーグワン)やラグビーワールドカップでも選手を支えることになるドクター、前田朗(あきら)氏だ。
「花園」として知られる全国高校ラグビー大会に出場することは、福岡高校ラグビー部当時の福岡にとって大きな目標だった。しかし、高校2年生で人生初の大けがを負い、診断の結果は左ひざ前十字じん帯断裂。その年の花園出場は断念せざるを得なかった。
それでも「手術をしてリハビリをしっかりすれば、前のスピードに戻る」という前田氏の言葉が支えとなり、前田氏による手術とリハビリを経て、高校3年生で戦列への復帰を果たす。
だが、出場のラストチャンスとなる花園の予選を3カ月後に控えた7月、再び練習中に負傷し、今度は右ひざ前十字じん帯断裂の診断。前田氏は手術を勧めたが、手術をすれば花園とその予選出場は叶わなくなる。「花園に出る」という福岡の強い意志をくみ取った前田氏は、手術せずにひざ周りの筋肉を強化する保存療法を選んだ。
決して勧められない治療法ながら前田氏は最善を尽くし、福岡は県予選の準決勝で復帰。そして福岡高校は夢の花園出場を手にした。花園1回戦で福岡はペナルティトライにつながる60メートルの独走を見せ、劇的な勝利を呼び込んだ。
1 / 4
著者プロフィール
齋藤龍太郎 (さいとう・りゅうたろう)
編集者、ライター、フォトグラファー。1976年、東京都生まれ。明治大学在学中にラグビーの魅力にとりつかれ、卒業後、入社した出版社でラグビーのムック、書籍を手がける。2015年に独立し、編集プロダクション「楕円銀河」を設立。世界各地でラグビーを取材し、さまざまなメディアに寄稿中。著書に『オールブラックス・プライド』(東邦出版)。
























