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日本ラグビーの「鉄人」はこうして生まれた 大野均が18歳の遅咲きスタートから最多98キャップを得るまで (4ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【37歳でも絶対にあきらめなかった】

 持ち味のスピードも、たしかに全盛期よりは落ちた。控えでの出場も多くなってきた。だが、大野はあきらめなかった。

「日本代表から外されていく選手を、たくさん見てきました。一生懸命やっているつもりでも、ほんのちょっとしたところで運命が分かれる。日本代表とはそういう場所。自分もいつまでもいられるところではないとずっと感じていました」

 追い込まれた状況だからこそ、愚直に、シンプルに、日々のプレーで表現した。朝5時から始まるジョーンズHCのハードワークにも「練習から100パーセント」で臨み、「毎セッション、死ぬ思いでやった」という。

 その「リアルLO」の姿を示し続けた結果、大野はチーム最年長の37歳でワールドカップメンバーに選出された。

 そして迎えた、2015年9月19日の南アフリカ戦。大野は「5番」を背負ってブライトンのグラウンドに立ち、「スポーツ史上最大の番狂わせ」を演じたのである。

「本気の南アフリカに勝てたのは、ワールドカップの初勝利(1991年のジンバブエ戦)よりもうれしかった!」

 大野は試合後、弾けるような笑顔で喜びを語った。

 だが、この試合が彼にとって最後のピークだったかもしれない。その後はひざのケガにも苦しめられ、通算100キャップを目前にして日本代表から離脱。そして2020年、惜しまれつつもブーツを脱いだ。

「大学からラグビーを始めて、東芝に入って、日本代表になれたことが奇跡みたいなものです。日本大学、東芝、サンウルブズ、日本代表......所属したどのチームも魅力的で、このチームで勝ちたいと思わせてくれた集団だった。そのチームのために、自分ができることを全部投げだそうという思いでやってきた」

 ユニフォームを脱いだ大野は現在、「大好き」と語るラグビーの指導・普及に精を出している。愚直な「鉄人」のラグビー人生を思い出すたび、次なる「リアルLO」の登場を期待せずにはいられない。

著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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