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キャプテンとして生まれた男・箕内拓郎 「ブレイブ・ブロッサムズ」の愛称はこの男なしに誕生しなかった

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

語り継がれる日本ラグビーの「レガシー」たち
【第5回】箕内拓郎
(八幡高→関東学院大→オックスフォード大→NEC→NTTドコモ)

 ラグビーの魅力に一度でもハマると、もう抜け出せない。憧れたラガーマンのプレーは、ずっと鮮明に覚えている。だから、ファンは皆、語り継ぎたくなる。

 第5回は「ミスター・キャプテン」No.8箕内(みうち)拓郎を取り上げる。身長188cm、体重107kgという体躯ながらボールキャリーはしなやかで、タックル、スティール(ジャッカル)も強く、生粋のキャプテンシーを持ったレジェンドだった。

※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)

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箕内拓郎/1975年12月11日生まれ、福岡県北九州市出身 photo by AFLO箕内拓郎/1975年12月11日生まれ、福岡県北九州市出身 photo by AFLO 桜のジャージーを着ると、いつも背中が大きく見えた──。

 箕内拓郎と言えば、真っ先に思い出す試合がある。それは2003年ワールドカップ・オーストラリア大会のスコットランド代表戦だ。本人も「最も思い出に残っている試合」に挙げる。

「キャプテンは15人のなかで、ひとりしかできない。ワールドカップでそれを務められるのは、とても光栄なこと。周りから信頼されるために、どんな相手が来てもタックルにいこうと、体を張ることを心がけていた」

 このスコットランド戦でも、箕内は7番を背負ってキャプテンとして出場。日本は献身的なタックルとスピードに乗ったアタックで挑み、後半9分には11-15と4点差まで迫った。しかし、その後は3トライを献上することになり、最終的には11-32でホイッスルを聞く。

 ただ、その勇ましい戦いぶりは、ラグビー大国オーストラリアの地元ファンの心を打った。海外メディアなどは日本代表を「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」とたたえ、それが現在のラグビー日本代表の愛称になった。

 その勇敢なチームを束ねていたのが、当時27歳の箕内だ。ただ彼は、小さい頃からスター街道を歩んできた選手ではなかった。

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著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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