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日本ラグビーの「鉄人」はこうして生まれた 大野均が18歳の遅咲きスタートから最多98キャップを得るまで (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【自然と涙があふれ出ていた】

「日本代表は、もうひとつのチーム」

 大野が愛するジャパンに選ばれたのは、社会人4年目を迎えた2004年5月のこと。そこから3度のワールドカップを含めて12年間、中心選手として桜のジャージーに袖を通し続けた。37歳で臨んだ2015年10月のワールドカップでは、SH村田亙が保持していた最年長キャップ記録も抜いた。

 日本代表のキャップを獲得した98試合のなかで、大野が特に記憶として刻まれている試合はふたつあるという。ひとつ目は、2013年6月にウェールズ代表に23-8で勝利した試合だ。

 大野にとって初めての欧州遠征(2004年11月)で、日本はウェールズに0-98で大敗を喫す。さらに3年後の2007年ワールドカップでも、18-72で再び悔しさを味わった。

 ウェールズとの初対戦(1973年)から数えて40年。回数にして13回目の対戦となった2013年6月15日、日本は初めて「ティア1」と呼ばれる世界的強豪から勝利を奪う。これは大野だけでなく、日本代表にとっても"マイルストーン"となる歴史的白星だった。

「エディー(・ジョーンズHC)さんのラグビーをやれば、世界で勝てると実感できた」

 試合終了まで残り5分となって勝ちを確信した時は、大野の目からは自然と涙があふれ出ていた。

 記憶に残るふたつ目の試合は、あの2015年ワールドカップで南アフリカを倒した「ブライトンの奇跡」だ。

 その奇跡が生まれた3年前の2012年、エディージャパンが発足。立ち上げ当初、ジョーンズHCは「大野をワールドカップに連れていく方針ではなかった」という。

 理由は、2015年には37歳となっている年齢だ。

 しかし大野は、ベテランとしての意地を見せる。

「年齢でパフォーマンスが落ちたと思われたくない。期待を裏切りたくない気持ちで、行けるところまで食らいつこうと思いました」

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