李承信は大学中退→バイト生活からラグビー日本代表へ「1ミリも後悔していない」競技人生 (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • 説田浩之●撮影 photo by Setsuda Hiroyuki

「それもあります。あと、大学生活を過ごしているなかで、あまり自分自身が成長できてないと感じていました。もちろん中退は難しい決断でしたが、違う環境に身を置いてチャレンジしたいと思ったんです」

── 中退することについて、ラグビー経験者の父やふたりの兄の反応はいかがでしたか。次兄の李承爀選手(り・すんひょ/三重ホンダヒート/HO)は当時一緒に帝京大に在籍していましたね。

「大学を辞める時、最初は父や兄にすごく反対されました。でもその後、家族もまさかこんなに早く日本代表になれるとは思っていなかったので、今ではすごく応援してくれています」

── 帝京大の岩出雅之監督(当時)からは中退する時に何を言われましたか。

「監督とはいろいろ話し合って、最後は『自分が今、楽しんでいたら、それが一番幸せだし、いいこと』と後押ししてくれました」

── 中退した決断を今、振り返ると?

「結果的にですが、常に『自分が選んだ道を正解にしよう、誇りを持てるように過ごそう』と思ってやってきたので、1ミリも後悔はしていないですね」

── しかしながら、コロナ禍の影響でニュージーランドへの留学を断念せざるを得なくなったのは、さぞ悔しかったことと思います。

「すごくショックでした。すぐに上のレベルでラグビーをやるのは難しかったので、まずは英語を勉強してワイカト大学に進学できればいいなと思っていましたので」

── 留学断念後、李選手はバイト生活を送りながら、公園でひとりパス練習などを行なっていたそうですね。

「引っ越しのバイトは夏に3日くらいしただけで、すぐに辞めてしまいましたけど(笑)。そんな時、神戸製鋼コベルコスティーラーズの福本(正幸/チームディレクター)さんから声をかけていただいたんです。そしてちょっとずつ、灘浜グラウンドまで練習に行けるようになり、2020年10月に入団することができました。

 4歳からラグビーを始めたのですが、神戸製鋼は近所で練習していたので、小さい頃から福本さんのことは知っていました。これまでいろんな幸運に救われましたが、ラグビー人生のなかで神戸に入れたのが一番大きい。感謝の気持ちでいっぱいです」

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