「坊主頭しかない」「遊びに行く気力もなかった」中村亮土が振り返る「自衛隊」みたいに厳しかった鹿児島実業高ラグビー部時代
ラグビーワールドカップ2023「Road to France」<06>
中村亮土(東京サンゴリアス)後編
◆中村亮土・前編>>ジャパン不動の12番が「できるじゃん!」と認められるようになるまで
ラグビーを始めたのは高校からと、日本代表メンバーのなかでは"遅咲き"かもしれない。
しかし、その後は階段を数段ずつ飛ばして上がっていくように、花園出場、名門・帝京大進学、U20代表選出、強豪サントリー加入、そして2019年ワールドカップメンバー入りと、ラグビー選手としてエリート街道を突き進んできた。
攻守にわたってジェイミージャパンに欠かせぬバックス陣の主軸、CTB(センター)中村亮土は今年6月で32歳を迎える。自身2度目となるワールドカップの舞台に向けて、世界トップレベルの「12番」が目指す最終地点とは──。
※ ※ ※ ※ ※
中村亮土●1991年6月3日生まれ・鹿児島県鹿児島市出身この記事に関連する写真を見る── 2019年ワールドカップでは日本代表メンバーのなかで数少ない社員選手でしたが、大会後にプロ選手となりました。
「2020年7月に社員選手からプロ選手になりました。ワールドカップ前までは社員選手としてずっとやっていこうと思っていたんです。サントリーには『ラ業両立』(ラグビーと業務を両立すること)という言葉があり、社員選手としてのプライドもありました。
ただ、プロになりたいと思うようになったのは、やはりワールドカップでの経験が大きかったですね。『もっとラグビーに専念したい、もっとラグビーを掘り下げていきたい』との思いが大きくなって......。プロ選手としていろんなことに挑戦したいという気持ちが芽生えました」
── その挑戦のひとつとして、プロテインを製造・販売する会社を起業したのですね。
「プロ選手になりましたが、そのシーズンはコロナ禍の影響でリーグ戦が中断となりました。喪失感というか、やることが何もなくなってしまったんです。『何かしないといけない』といろいろ考えた結果、人との出会いもあって半年後に起業し、プロテインを製品化して販売することにしました」
1 / 4
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。