吉田義人が誇ったW杯のBK陣
「平尾さん、朽木さんと阿吽の呼吸だった」 (2ページ目)
――さて、28年前の第2回ラグビーワールドカップ、最初に思い出すことはどんなシーンでしょうか。
「僕は、あのアイルランド戦だな、やっぱり。梶原(宏之)さんのトライは大会のベストトライにノミネートされました。あれは、ずっと練習してきたことが、試合でパフォーマンスとして出せた場面でした」
――あのトライは私もよく、覚えています。後半の中盤、自陣22m付近のペナルティーキックからの速攻で、バックス(BK)に展開してWTBの吉田さんがゴール前まで迫り、SO(スタンドオフ)松尾勝博さん、FL(フランカー)梶原宏之さんと約80mをつなぐ圧巻のトライでした。
「そうそう、ペナルティーから。堀越(正己/SH=スクラムハーフ)のタップキックから、松尾を通して僕に来て、アイルランドの14番のWTBと1対1になったんです。それをスワーブで抜いて、バッキングアップで走ってきたFB(フルバック)にコースを押さえられたんですけど、タックルを受けながらパスを松尾さんにつないで、最後は梶原さんへのオフロードパスでした」
――吉田さんのランにスタンドの相手ファンも熱狂しました。吉田さんは試合終盤、スクラムの左サイドアタックから、最後にトライもしました。トライ数では相手4本に対し、日本は3本でした。日本の攻撃は狙い通りでしたよね。
「そうです。格上のアイルランド相手に。僕は初戦のスコットランド戦でランはしましたけれど、トライができなかった。なぜ、アイルランド戦の光景が出てくるかというと、やっとね、世界のひのき舞台に立てるという思いがありました。そこで、自分のパフォーマンスができたんです。今でこそ、代表の国際マッチは年間、何試合もありますけれど、当時は年間、1、2試合あるかどうかの状況だったんです」
――吉田さんが日本代表に入ったのは、1987年の第1回ラグビーワールドカップのあとですよね。
「そうです。1988年の10月、秩父宮ラグビー場の改装後のこけら落としだったオックスフォード大戦(19-23)がデビュー戦でした。相手チームには、留学中のニュージーランド代表のデビッド・カークやオーストラリア代表のイアン・ウィリアムスらがいました。私のトイメンがそのイアンでした。当時、僕は19歳です。まだまだ青い選手でした。ははは」
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