2019.06.27

吉田義人が誇ったW杯のBK陣
「平尾さん、朽木さんと阿吽の呼吸だった」

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

レジェンドたちのRWC回顧録⑤ 1991年大会 吉田義人(前編)

 時代は平成に入り、バブル崩壊が始まった1991(平成3)年、ラグビー人気は盛り上がっていた。第2回ラグビーワールドカップ(RWC)では地区予選が導入され、真の「世界一決定戦」の様相を呈した。出場国のレベルが上がった。

現役引退後は、母校の明治大学で監督も務めた吉田義人

 本戦で日本代表は、ラグビー史に新たな1ページを刻み加えた。ジンバブエに圧勝(52-8)し、記念すべきW杯初勝利を挙げたのだ。1989年にスコットランドを28-24で破ったメンバーを主体とし、宿澤広朗監督(2006年没、享年55)率いる代表チームは熟成度を増していた。主将が、平尾誠二さん(2016年没、享年53)だった。

 初戦は、敵地の英国エジンバラでスコットランドに挑むも、9-47で敗れた。だが、次のアイルランド戦では首都ダブリンの、あの古めかしいランズダウン・ロード(スタジアム)で日本代表はスコア(16-32)よりも拮抗した戦いを演じ、すこぶる気のいい観客の拍手と声援をもらったのである。

 その試合で特に光り輝いたのが、スピードスターのWTB(ウイング)吉田義人さんだった。あれから28年、多忙なスケジュールの合間を縫って、瀟洒なレストランでインタビューは敢行された。

 50歳とは思えない覇気を感じる。店内にはやわらかい気配が漂う中、窓側の隅に座った吉田さんは、強烈な存在感で迫ってくる。日本スポーツ教育アカデミー理事長。今日は西へ、明日は東へ。この日も地元の子どもたちに、ラグビー教室を開くことになっていた。

 銀色のネクタイ姿。ラグビーワールドカップまであと3カ月ほど。忙しいですね、と声をかければ、「この時期、忙しくなくちゃ、まずい状況ですよね」と少し笑った。

 第2回ラグビーW杯で共に戦った宿澤さんや平尾さんは急逝した。「平尾さん、宿澤さんとか、先輩たちもお亡くなりになってしまったし…」と声を落とし、「どこに行っても、東京オリンピックという話は出てくるけれど、ラグビーワールドカップはまだまだ…」。ラグビーW杯開催都市(神奈川・横浜)の特別サポーターとして、大会の盛り上げにもひと役買っている。